福祉文化ブックレット第1巻『私たちのメメント・モリ~死を想う経験~』が出版されました
8月末に、福祉文化ブックレット第1巻『私たちのメメント・モリ~死を想う経験~』(日本福祉文化学会発行)が出版されました。このブックレットは、2017年2月18日におこなわれた第28回日本福祉文化学会東京大会での上野千鶴子さんの特別講演「死にゆく者の自律」をきっかけにして生まれています。上野さんの特別講演のあと、関東では「わたしの最期を考える」研究会をたちあげ継続的に研究会をひらき、関西ブロックでも上野さんの講演をうけての研究会を開催して、東京大会での問題提起に応える試みを重ねてきました。
生まれる時も死ぬ時も人間はひとり。ひとりである自分が、どうやって自分の生と死を考えて、受け止めていくのか――。そんな課題について、10人の執筆者たちがそれぞれの私的な体験に依拠しつつ、向き合って文章を編み出していきました。自らと死との間で生じてくる想いを綴ったブックレットを糸口にして、会員の皆様にも「わたしの死」や「わたしと死」について考えていただけたら、そんなにうれしいことはありません。
皆様にお手に取っていただき、できれば仲間内で一緒に語り合う機会をつくっていただきたいと考え、一般販売価格800円(税抜)のところ、学会員の方には特別価格600円(税込)+送料(4冊まではスマートレター使用で180円で郵送予定)で販売いたします。お申込み、お問い合わせは事務局までメールで連絡をお願いします。
日本福祉文化学会 自主ゼミナール 「私の最期」を一緒に考えるゼミ(仮称)
誰もがいつかは死を迎える。結婚している人もしていない人も、子どもがいる人もいない人も、みーんな最期はひとり。
気になる自分の「最期」について、いまおひとりさまの方もそうでない方も老若男女で集まって、「私の最期」をどのように迎えたいか、そのためにどのような準備をするのか、一緒に考えていきましょう。
【東京会場】
日時:2018年3月18日(日)10:30~12:30
場所:立教大学池袋キャンパス16号館3階第2会議室
(池袋駅から徒歩10分程度)
【大阪会場】
日時:2018年3月25日(日)15:00~17:30
場所:私空間
(大阪府茨木市駅前4-5-12茨木市駅から徒歩10分)
イベント名:わたしの「最期」にまつわるエトセトラ ーそうだ、上野千鶴子さんに聞いてみよう
日時:2018年1月28日(日)10:30~12:00
場所:立教大学池袋キャンパス16号館3階
第2会議室(池袋駅から徒歩10分程度)
主催:日本福祉文化学会(http://www.fukushibunka.net/)
問合せ先:abiru93@gmail.com
本学会会員・立教大学非常勤講師 阿比留久美
内容:
2018年2月18日の日本福祉文化学会東京大会では、上野千鶴子さんの講演「死にゆく者の自律ー『おひとりさま』時代の生と死」がおこなわれます。当日は60分の講演に くわえ、30分の質疑時間が予定されています。30分という潤沢な質疑時間をいかすべく、講演当日に上野千鶴子さんに質問したいことを一緒に考えませんか。
誰もが気になる自分の「最期」、いまおひとりさまの方もそうでない方も、老若男女で集まって、一緒に気になるあれこれを上野千鶴子さんに質問する準備をしましょう。
※この日は上野千鶴子さんはいらっしゃいませんのでご注意ください。
『福祉文化研究・調査プロジェクト』の募集要領
●ねらい
時代に対応する日本福祉文化学会の新しい方向を打ち出すために、会員による斬新な研究・調査の計画を募り、今後の学会活動に資する適切なプロジェクトを編成する。
●プロジェクトの募集
・学会会員による個人またはグループ研究(※メンバー全員が応募時に会員であること)を公募する。
・理論研究/実践研究/調査報告の3ジャンルに分けて募集する。
それぞれのジャンルでテーマ例を提示して方向を示す。(テーマ例以外でもよい)
・各ジャンルから1,2点の企画を採用し、研究助成金(最大10万円※金額は審議の上決定する)を支給する。
・採用されたプロジェクトは2018年2月の学会大会で研究成果を発表するものとする(中間報告可)。
最終報告は2019年8月末日締め切りの『福祉文化研究』に投稿する。
・応募企画の選考は日本福祉文化学会研究委員会が行い、理事会で決定する。
・公募と並行してリクルート活動にも力を入れ、優れた問題意識を持つ若手研究者や地道な活動を積み上げている実践家の発掘を目指す。
・研究委員会は研究プロジェクトへの支援活動を行う。
●テーマ例
①理論研究
・「福祉を文化の視点から再点検する」ための研究方法の開発
・戦争文化を乗り越える福祉文化思想の構築
・「治療モデル」からの脱皮した「福祉文化」の自立の方向
・ケアの現場における文化・芸術活動の意味と価値
②実践研究
・「福祉文化指標」の策定方法の提案と実測
全国版(国同士の比較)、地域版(都道府県/市町村比較)
福祉施設(団体)の「福祉文化度」を評価するための指標づくり
・「介護民俗学」を生かした高齢者ケアの展開
・高齢者の住まいとケア―「サービス付き高齢者住宅」の可能性
・文化活動による福祉施設と地域とのコラボレーションの方法
・福祉系職員の「関係力」アップのための研修方法の開発
・障害者と共につくる芸術ワークショップの実践
③調査
・高齢者(障害者)施設における文化(芸術)関連プログラム(予算)の現状調査
・独居老人の生活時間調査/人的交流調査
・障害者の余暇の実態と余暇開発の可能性
・デイサービス(老人ホーム)におけるレクリエーション・プログラムの実態と課題
・福祉系大学における「福祉文化」学習(福祉の質に関わる学習)の現状
●お問い合わせ:日本福祉文化学会 事務局 前嶋
【電話】080-4611-6286
【メール】genjiman2004@yahoo.co.jp
●応募先: ※下記へ、別紙応募様式を郵送またはメール添付にて送付する
日本福祉文化学会宛 ※封筒に『福祉文化研究・調査プロジェクト応募』と明記
(メール)書式をダウンロードした上で、下記まで
fukushibunka@lagoon.ocn.ne.jp ※件名に『福祉文化研究・調査プロジェクト応募』と明記
●様式 ここをクリック 2017kenkyu_tyousayousiki
●締め切り: 2017年5月25日(木)必着
研究委員会・持ち寄りゼミ報告 (平成28年1月24日 東京・四谷 教育デザイン研究所)
1)研究委員会のメンバーと活動計画
持ち寄りゼミはオープンな研究会ですが、主催しているのは研究委員会です。
理事会から委員のメンバーを確定してほしいという要請がありましたので、ゼミの常連の中から佐藤嗣道(委員長)、薗田碩哉、加藤美枝、大江緑、木村たき子、浮田千枝子、五十嵐真一の7名を委員とすることにしました。
委員会としての決定はこのメンバーで行うことになります。なお、今後、他の地域の委員も増やしていく予定です。
2016年の研究員会の活動計画は前にも論議したように別添のとおりで、1月23日の理事会で承認を受けました。持ち寄りゼミのほか「福祉文化批評」活動の展開、10月の学会大会での研究セッションの運営を行う予定です。
2)安保関連法に対する日本福祉文化学会反対声明について
前日の理事会で標記の議題が提出され、学会のさまざまな場で議論を続けていくことになりました。持ち寄りゼミでもさっそく論議をしてみました。その要点は以下の通りです。
・提案にある通り、平和と民主主義は福祉文化の基礎であり、平和国家を脅かす安保法には大きな危惧を感ずる。学会としての意志表明があってしかるべきだろう。
・この問題についての論議の場を作り、それを踏まえて声明を出したい。声明はタイミングが大切なので、当面は参院選をにらんだ時期がよい。
・学会の声明となると手続き的には総会を開いて決議をする必要がある。10月大会でやってみてはどうか。5月ごろに出すとすると理事会主導の集会を開き、全理事の意見を聞いて理事会声明として出すのがいいのではないか。
この件は、3月例会でも話し合って理事会に提案をしようと思います。
3)持ち寄りゼミ―デイサービスでの「賭けごと」を巡って
今回の話題は「介護施設にカジノ効果は」という朝日新聞2015/10/26の記事を取り上げました。
最近のデイサービスでは、パチンコやマージャンやカジノなどのアミューズメント型のプログラムが人気で、そういう施設や用具が広がって来ているようです。これについて「高齢者の自立を促す」効果を指摘する専門家もいますが、依存症を心配する声もあります。積極的に取り入れる自治体がある一方、神戸市は射幸心をあおりかねないと規制をかける条例を制定しました。
賛否両論をどう考えるかということですが、「賭け」という行為には人に主体的な決断を迫るという点で精神的な強さにつながる積極面と、賭けに溺れて身を持ち崩しかねないリスクもあります。そのバランスをどう考えるかというのが論議のポイントとなりました。
福祉現場での賭け事の規制という問題は、福祉の現場の文化的な雰囲気が一般社会からみるとかなり禁欲的で、娯楽に対して抑圧的な劣等処遇原則の残滓を感じさせるという指摘もありました。
この論議を踏まえて薗田が福祉文化批評を書いてホームページに投稿する予定です。
4)報告:研究誌に福祉文化批評のページができます
昨年の持ち寄りゼミの成果を「福祉文化批評」としてまとめたものが、3月刊行の研究誌25号に掲載されます。
内容は、福祉文化批評の考え方(薗田)、日米の児童虐待(木村)、高齢者と子供の交流(加藤)、映画「0.5ミリ」評(浮田)という組み立てです。今後もメンバーの皆さんの福祉文化批評を研究誌やホームページで公表していきたいと思います。
研究委員会2016年事業計画
1.福祉/文化持ち寄りゼミナールの実施
<ねらい>
前回の「よもやまゼミナール」(2012年7月~2014年11月まで16回開催、その成果は『福祉文化研究』24号の特集「福祉文化研究の新地平」にまとめられた)を受け継ぎ発展させる。
社会福祉の現状を見渡し、さまざまなテーマを引き出して、福祉と文化の2つの視点から検討する自由な意見交換の場をつくる。
<進め方>
・あらかじめ1つのテーマを提示する。
・メンバーはそれについて本を読んだり、データを探したり、誰かの話を聞いたりし
て材料を集める
面白かった本、読みかけの本、新聞記事、ネットの情報、気になるパンフレット
もろもろデータ、見聞記、ユニークな人物の情報・・・
・集めた材料を持ち寄って検討会を開く。
・頻度は出来れば毎月、少なくても2カ月に1度。
・会合場所は当面、教育デザイン研究所(JR四谷駅から徒歩3分)。
・地域ブロック等での開催を働きかける。
・ブログを作ってネット上でも参加できるようにする。
・成果はホームページ、研究誌に発表する(個人研究、共同研究)。
2.「福祉文化批評」活動の展開
〈ねらい〉
昨年の『福祉文化研究』誌では、福祉文化研究の新たな方向として「社会福祉を対象とした文化的な批判を多角的に追及する」という視点が打ち出された。それを承けて研究活動の言わば入り口として、日々展開されているもろもろの社会福祉現象を捉えてアップ・ツー・デイトな批評活動を行い、学会内外に発信する。
〈進め方〉
・現場での実践活動やそれを土台にした成果(作品、施設、組織、制度なども含めて)に対して「福祉文化」的な批評を行なう。
・社会福祉の諸現象を対象にして文化の観点から批評・批判するばかりでなく、反対に文化現象を対象にして福祉の観点から批評・批判するという視点も考慮する。
・モデル(サンプル)となる記事を3月刊の研究誌25号に掲載予定。
・前項の持ち寄りゼミの話題を土台にまとめたり、しかるべき筆者に依頼したりする。
・発信の場はホームページや通信、研究誌。
3.研究大会でのセッションの企画
研究委員会企画として研究セッションを10月の研究大会で行う。
テーマはこれから検討するが、一案としては「研究方法」に関するものが考えられる。
「福祉の文化研究」という方向を具現化する研究方法の紹介やその具体的な実施方法について事例発表と討論を行うなど。
福祉文化よもやまゼミナール 第2回報告
日時 2012年9月15日(土)13:30~17:00
場所 立教大学 池袋キャンパス14号館 第4会議室
参加者 五十嵐、磯部、國光、島田、杉崎、木村、薗田、馬場、林、前島、松原、李、阿比留、(敬称略)
司会:五十嵐
1.自己紹介及びお知らせ
学会副会長の島田さんから学会設立者の一番ヶ瀬康子先生が9月5日に逝去されたことを報告。
‐自己紹介
2.福祉文化研究の対象の広がりと接点(報告:國光登志子)
参考文献:國光登志子「福祉文化研究の対象の広がりと接点」立正大学社会福祉学部編『福祉文化の創造』ミネルヴァ書房、2005年
よもやまゼミナールが次に活性化させる材料として話題提供ということでレポートする。今日のレポートである『福祉文化研究の対象の広がりと接点』は、所属していた立正大学で、福祉関係の先生方の論文などを収録したものを記念集にしたのがきっかけで書いたものである。学会の紀要に掲載された論文を分類・整理しながら対象の広がりと、どういう接点をもって研究論文(1992年~2004年)が書かれていたのかをまとめたものである。
当時、学会に入会したきっかけは高齢者のデイサービス所長を担当したことから。デイサービスのプログラムがいろいろな角度から検討されてきている。実践報告などがある中で、『福祉文化』を考えるのがきっかけとなった。
「福祉文化」は従来の福祉が措置から変化してくる中で、福祉世界も研究も実践も広がりが出てきていた。救貧的な社会福祉のありがたを克服する意図から、社会福祉の現場に文化的な活動を積極的に取り込もうとする概念、歴史的には1962年の灘神戸生活協同組合における組合員相互の活動に関する討論の中で「福祉文化活動委員会」が立ちあげられたのがきっかけであった。その後、1981年の「国際障害者年」とそれに続く「国連障害者の10年」の取り込みの中でノーマライゼーションの考え方が浸透し、利用者の生活の質を高める取り組みが福祉施設の現場からも提起され、1985年には群馬県榛名町の社会福祉法人新生会において「文化としての福祉の創造」が提起された。1989年には同法人内に福祉文化研究所が設置され、現在にいたる。こうした流れを受けて、日本福祉文化学会が創設されることになった。一番ヶ瀬が会長を務めており、いろいろな領域の研究者・実践者が研究交流を行って、現在にいたっている。
その中でも福祉文化学会研究紀要創刊号の巻頭言は印象深い。「『福祉文化』とは何か」という論文の中で、「『福祉文化』という語は、『福祉』と『文化』が合わさった造語である。最近のいわば造語といえようか。しかし、一つの言葉が生まれるには、それなりの背景と実態がある。日本においては国民生活が1960年代の高度成長期以降、急速に変化する中で、『福祉』の内実も変わってきたのである。そして、80年代から90年代にかけての生活の質(QOL)向上への要求が国民生活の基本的な志向として捉えられ始めてきた。そのころから『福祉』においてもその質を問う努力が、いろいろな場で出現してきたのである。
この状況の中で、福祉の質を高めるための『福祉』の文化化と、ノーマライゼーションの理念を媒介して、さらに高齢化社会の到来に伴う生涯学習への需要を契機として『文化の福祉化』とが注目されていった。そしてそれらが統合化した概念として『福祉文化』として実っていたのである。 しかし、この言葉の意義はもっと深く捉えることが重要である。この言葉をより本質的にとらえるならば、きわめて深い、そして人間の文化創造の原動力にせまる視角があると考えられるからである。というのは『福祉』自体が単に生存権を認めるだけのものから人間らしい生活を保障するものに変わり、さらに一人ひとりのその人の自己実現の援助へと焦点が高まってきている 今日、一人ひとりの真の自己実現こそが新たな文化創造につながるものがあるからである。いずれにしても真の福祉、真の文化というものを目指した時に、『福祉文化』という造語は『福祉』、『文化』それぞれのあり方を問い、人間としての本質に迫る表現となる。また、その本質に迫る道筋の中で『福祉』『文化』それぞれの向上を目指すにあたっての中間概念である。」(日本福祉文化学会、1992)
当時、学会創設にあったっての整理・視点を提示し、現在につながる思いであったともいえる。
2000年の社会福祉基礎構造改革を受けて登場した社会福祉法においても第4条(地域福祉の増進)においての条文では「地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営者及び社会福祉に関する活動を行う者は、相互に協力し、福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられるように、地域福祉の増進に努めなければならない」とされている。この4条は、現在の実務者・地域のリーダである市区民長・老人クラブと話をする時に活用する条文でもある。地域福祉という中身の中に、文化が含まれていることを忘れないように活用している条文である。
地域福祉の推進が、「地方分権の趣旨に沿い、個性ある地域文化をつくる基本にもなる。そのためには、地方自治体への権限移譲、合議形成を行う手段としての綜合的な福祉計画づくりなどの多様な手法を整備することが、地域に福祉文化を根付かせる方法にもなる」と社会福祉法令研究会は『社会福祉法の解説』で言及している。
日本福祉文化学会創設から15年が経ったところで整理をしてみようと思い、福祉文化の研究と実践がどのような福祉の領域において、どのように論じられているのか、または地域福祉における福祉文化の創造がどのように具体化しているのかを検証することによって、福祉文化研究の視点を明らかにしたいという思いで書いたのである。
私自身は1995年板橋区おとしより保健福祉センター在職中に学会の会員となり、学会誌に現場報告を登載したこともある。社会情勢の変化、ここで密接に関係する個々の人間性を尊重した方法論として必然的に求められてきた概念、それは実践の成果としてどこまで積み上げられてきたのか関心をもって検討する意味で、広がりと接点をテーマとしている。
調査研究の方法としては、当学会の研究紀要である『福祉文化研究』を対象とし、調査内容としてはテーマ、福祉領域・文化領域、研究目的、得られた論点・効果を分析した。私自身が論文を通して、どんなものが見えてきたのかについて、掲載論文からひきだしたものである。研究対象の福祉領域では、高齢者、障害者、児童、女性・ジェンダー、生活困窮・生活保護、地域福祉、災害被災・犯罪被害、福祉全般、その他の9分類とした。文化領域としては、文化・芸術、伝統文化、生活文化、教育・学習、スポーツ・レクリエーション、社会参加、ライフスタイル、ボランティア、地域コミュニティ、経済、情報・IT、ハード、地球環境、福祉文化、その他の15分類とした。そして、論文発表者の所属、大学等の教育研究機関、社会福祉等の実践現場、文化関係者、その他ということで関係性をみることにした。
結果的に論文の類型からみた傾向(76p)からみると、文学・芸術関係では高齢者対象とした論文の中で、『万葉集』における老いの歌、映画の『老人と海』、『楢山節考』、在宅介護担い手の行為と意義の変換である男性の役割、女性の役割、『恍惚の人』という作品、福祉音楽活動の類型化と課題の中で、福祉音楽論の構築にむけてなどがある。障害者では仏教経典・説話にみる差別意識、福祉文化におけるデザインを考える、社会福祉研究におけるリアリティ、福祉音楽活動の類型化と課題などがあった。児童関係では、生活行為としての芸術、知的障害者における絵画活動などがあった。しかし、文学・芸術領域では女性・ジェンダー関係はない、生活困窮・生活保護では差別意識があった。地域の問題領域でも女性・ジェンダー関係はなくて、災害被災以外にマトリックスの枠の中でみるとわかるように論文の件数と領域が区分されている。衣食住に関する生活文化においても、高齢者の関係は住み慣れた地域で人間らしい生を全う、色との関係、幸せづくり生きがい等の多様な領域で論文がある。障害者関係では、入所施設利用者と職員の関係などの論文があった。生活文化(衣食住)の分野においても、女性・ジェンダー、地域との接点関係の論文は出ていない。教育・学習分野(79p)では対象別をみると、児童問題が多いことがわかる。その内容をみると、ラスキン人間学の基礎的考察、不登校におけるセルフヘルプグループの社会的意義、学習障害、教育相談における男性カウンセラーの役割、福祉教育の構造と実践などが書かれていたことがわかる。女性・ジェンダー関係では、妊娠及び出産を迎えた女性生徒のための学校教育保障といったテーマの論文があった。教育・学習分野では少し広がりを持たせた福祉全般領域から多くの論文があった。例えば、教員養成大学・学部総合科学過程という科目との関係の論文、福祉サービス消費者の主体形成と福祉教育などがあった。
研究目的としては得られた論点(81p)では、万葉集における老いの歌という論文の研究目的は文学作品に現れた過去の日本人の老いの受容を考察し、現在の高齢社会における老いへの関心に応える。得られた論点としては、万葉集で扱われる老いを嘆く、老いらくの恋、若返りを願うないしは不老不死といったイメージに大別されるが、自らの長寿の幸福をしみじみ歌う成熟した心境の歌はなく、老いを取り巻く条件の厳しさがうかがわれるとしている。また、パラリンピック東京大会の史的研究では、第二次世界大戦による脊髄損傷者のスポーツ大会としてスタートしたという競技が発展してきて市民権を得られてきたとしている。それから、なぜ「社会福祉のデザインか」という論文からはゴールドプラン、老人保健福祉計画が高齢化社会の国民の不安を取り除くことができる施策なのかを検証する材料として福祉計画が取り組み始めた90年代の問題点を提示している。なお詳細については、以下の論文を参考にしていただきたい。
(1)福祉領域と文化領域のマトリックスの結果(74p)には、紀要に掲載された112編の論文について、その研究目的と得られた論点・効果という観点から区分したもので、抜粋して一部分のみを掲載している。
①福祉分野における傾向では高齢者関係が59編で、圧倒的に多いことがわかる。高齢者分野の関心が多いことは、高齢化社会における社会問題として福祉領域を超えた生きがい、活性化、経済、産業など多様な課題がクローズアップされている現状からみても当然のことと理解できる状況である。一方、障害者、児童の領域以上に地域福祉における件数が多いことは、社会福祉法のねらいのとおり、地域コミュニティやボランティア活動など福祉文化の視点に立ったアプローチがしやすく、また、新たな展開が期待できる分野であることを示している。また、近年、地震台風等の自然災害が発生すると、災害ボランティア活動が早期に対応を開始するが、その際にも衣食住の最低生活の救援活動のみならず、同時並行的に福祉文化活動の支援が重要であることを実践したレポートなどはタイムリーなテーマといえる。以上に比べると生活困窮の分野においては、ラスキン人間学の基礎的考察と仏教経典・説話にみる差別意識の歴史的、理論的視点からの研究の2編のみで、現代社会における実践課題としての取り組み、福祉文化のアプローチができる条件が整っていないと想定させる。
『福祉文化研究』創刊号の巻頭言で一番ヶ瀬は「福祉を切実に必要とするいわば『被差別』『弱者』『逆境』の人々あるいはその痛みを知る人こそ、真の文化を生み出すという視点を明確にしながら、実践のあらゆる場面から証明し、手ごたえあるものにしていく必要がある」と述べられている。しかし、この13年間における学会員を中心とした研究活動において生活困窮と文化についての実践的な取り組みが「必要としている」対象者には届いておらず、また同時に現代社会に必要な「真の文化」も生み出されていないのかもしれない。福祉文化の研究と実践を融合し促進する誘導策が求められているのではないだろうか。
②文化領域における傾向としては調査内容において15に分類したが、あくまでも仮説であり、音楽、美術、演劇、文学、伝統芸能といったジャンルを設定した。これらに該当しない生活文化、社会参加、生涯学習、男女共同参画、ボランティア、ライフスタイル、地域コミュニティ、地球環境、情報・IT等の分野に論及しているものも多く、さらに「福祉文化」そのものを論じている研究も55件に上った。「福祉と文化とは」「福祉」と「文化」といった学会の特徴である原点を論ずる論文が件数的には多かったとも言える。
今回の文化に関する15分類からは当初の目的が一部分しか見えてこなかったが、文化概念の広さ自体が福祉文化の課題であることを読み取ることができた。実践活動や方法論の提起が研究テーマに取り上げられていた傾向は方法論として紹介した論文等、福祉文化のねらいである福祉における自己実現、福祉の普遍性やノーマライゼーションへの取り組みを物語るものとして受け止められた。
(2)福祉文化と地域福祉の接点からは、福祉文化で言うところの「文化」はどのように考えればいいのか。2004年13号の巻頭言で永山誠は「福祉文化を研究する視点」のなかで次のように述べている。「社会学における文化概念をみるとドイツでは『〈生〉の営みの中で発生する欲求・欲望を概念化・理念化し、その理念を目標とした精神のはたらきが生み出すもの』とされ、イギリス、アメリカでは『社会の構成員が後天的に獲得するものすべて』とし文明も含めるので『文化はほとんど社会と同義語である』との理解さえある。この二つの流れを基本とし種々の文化論が誕生するが、いまだ定説はない。政策レベルで考えると、1960年代から1970年代の労働組合運動、環境運動、消費者運動、福祉要求運動等の地域住民運動対策のために、地域編成を基礎にした国土計画や、1979年に日本型福祉社会が21世紀社会の国家目標となった。この地域社会への着目にあわせて地域固有の文化政策的関心が寄せられる。この流れをみると新たな福祉原理=地域福祉のもとで当然、〈福祉文化のあり方〉が問われる課題となる。つまり『福祉文化』は、日本型福祉社会という地域社会再統合を図るうえで不可欠な構成要素となる。したがって、学会が追求してきた福祉文化とこれがどのような関係に立つのか、政策面あるいは福祉文化の研究が不可欠になってきたと述べている。
以上のように福祉文化における「文化」をとらえると、文化は伝統的なジャンルによる分類のみならず、類型化作業のなかで、生涯学習、ライフスタイル、社会参加、ボランティア、地域コミュニティ、地域環境などのキーワードが登場してきた背景が理解できる。
次に第4節「福祉文化研究の今後」について述べる。福祉文化研究の広がりと接点は、社会的要求であると同時に政策課題にもなり、いまや福祉文化は研究者においても実務者にとっても違和感のないものとなってきた。しかし、一方では「福祉文化が目指すところはこれでいいのか」あるいは「これが福祉文化か」といった疑問や不安、「福祉文化」を前向きにとらえている関係者においても付きまとっているのは、歴史的・伝統的文化とwell-beingや自己実現の方法における多様性・変動性とさらに地域福祉への政策的動向が「福祉文化」において登場してきているためであるのではないかと考える。「福祉文化」の発展を目指していくには広がりに対して深さを求めていく必要があると思う。
今回は日本福祉文化学会の紀要の論文と研究ノートからみた福祉と文化の類型化を通して研究活動の足跡をたどってみた。学会が目標にしてきた10年間の活動は、『福祉文化研究』第6号に掲載されている「日本福祉文化学会10周年を迎えるにあたって日本福祉文化学会は何を目ざすのか‐変革の時代の福祉を問う」にまとめられている。この座談会で一番ヶ瀬は「社会福祉とは、福祉をめぐる社会方策でそれぞれの社会の社会関係の表出であると思っていた、そういう社会の中で作られる既成の社会福祉の中であくせくするという形を打ち破って、福祉の中から逆に社会福祉の在り方を作り出していく活動…」と述べている。また桜井は「私達はこれからどのようにして、一人ひとりがその人らしい人生を送りうるのかという視点に立った活動を志向しなければならないと思うのです。この日本福祉文化学会から、矮小化、管理化の傾向をもった制度運営に人間を取り込んではいけないと発信していくべきだと思っています」と語っている。また、「日本福祉文化学会は研究と現場の複合体ということで進んできた」等の発言からみると学会の福祉文化活動らしさは紀要より現場セミナーや大会、国際交流、福祉文化通信から読み取るべき要素が多数あったとしている。今回、紀要論文の類型化という入り口からほんの少し垣間みた状況のなかで、研究動向を論ずるのは僭越の誹りを受けることも反省しながら、分析しきれなかった領域を残している状況である。その後から現在にいたるまでの広がりが出ていると思うが、研究テーマで見つからなかった低所得層の分野は変化を感じられない。福祉文化という切り口で研究論文が増えてほしい。このあと、話題提供ということだったのでこれからぜひ論議をしていただきたい。
3.質疑と議論 (番号:質問 →:返答 *:議論または感想)
① 福祉分野の類型化のなかでの福祉全般というのはどこにも入りこまないのか、また、生活困窮におけるタイトルのなかでは論文が見あたらないということだが、問題自体も出てきていなかったのか、
→切り口としていろんなものがミックスされていたので、特定のジャンルだけに特化しきれない部分を分けて生活全般という分類にした。生活困窮におけるタイトルからも生活問題自体も論文ではでてきていなかった。
② 本のタイトルに福祉文化という言葉を選択した理由とは?
→本のタイトルで福祉文化という言葉を使った理由としては、所属している立正大学社会福祉学部の先生方の中には、仏教文化だったり、福祉原論の専門だったり、福祉対象の接点の共通点として合意が得られた言葉としてタイトルになったのではないかと思われる。
立正大学は社会福祉学部の中には社会福祉学科と人間福祉学科に分かれていて、人間福祉学科は子どもを対象として、社会福祉学科は高齢者、障害者、地域福祉の問題を取り上げるジャンルで人材育成(社会福祉士)を中心としている。人間福祉学科では保育士教育、児童分野では音楽療法ジャンルの方もいる。共通点としては教育活動の中に福祉文化というものがあったと思える。立正大学の中で、福祉文化という関心が高いとは言い難いが、
研究の延長上で一つの合意が得られたことに意義がある。
③ 福祉文化らしい研究としてあげられる論文は?
→論文を丁寧に読み切ることができなかったこともあり、「福祉文化とは」という原点を中心に書いた論文は見当たらなかった。しかし、これから持続的に追求していくというのもいいテーマだと思う。その関係で書かれた論文をジャンルごとに文化の視点をクローズアップしていく必要がある。
*研究目的と得られて論点(80p)からみると、福祉と文化をキーワードにすると範囲は広くなってくる。福祉文化研究というのは広がりでみると「なんでもあり」ということにもなる、学会としては広がりがあるのは重要だが、ポイントになる研究モデルを提示しないと研究者としては戸惑いがある。報告者が報告したものをみても、福祉の質を問う、人間らしく生きていく視点が重要である。福祉文化学会らしい研究としてあげられているものの中でも例えば、「万葉集でみられる老いの受容」とは単純に社会福祉サービスの問題ではない。また「パラリンピックをめぐる歴史的な諸問題の考察」、あるいは「ラスキン人間学」も福祉文化らしいものとはいえない。そして、社会福祉ビジョンについて書かれているが、社会福祉ビジョンは社会福祉の質を高めるためにも必要としている分野でもある。福祉文化研究としてのある種のものを強調し、査読論文も含め、福祉文化研究を特化して分類していく必要があり、日本福祉文化学会らしい研究、学会固有の目標とは違うのは切り捨て、分類する必要がある。
→論文の査読をしたこともあるが、そのなかでは領域の接点が書かれていない論文もあり研究の目的とねらいは重要である。
*ジャンルを絞って、福祉全般を荒く分類したら全体の傾向が浮かびあがるのではないか、
→もう一方では、学会史としてデータベースを作り、今後取り組む時に、分類コードとかを再分解したものをある程度、作りながら大枠はねらいを明確にした仕切りの仕方を考えるべきではないか。研究のねらいを明確にしたものを提示できたらいいと思う。
*論文を書く側として福祉文化の範囲、理念、志すものとはなにかということを共有できたらなにがあるのか。考え方のパターンとして共有できるものは?純粋音楽と比較として人間への働きかけとしての音楽活動といった場合、例えば、治療として、医学としての音楽と言った場合、「治療としての音楽」に限定しているようなものになりがちである。福祉文化としての音楽といった場合、曖昧さゆえに人間への働きかけとして福祉活動をすると捉えている。
→どの学会でも正統派でないと排除されやすい面がある、排除された曖昧な研究のためにも日本福祉文化学会がある。福祉文化学としていろいろな可能性を幅広くしていくことも大事ではないか。
④ ソーシャルワーカー、援助技術面では論文があったか?また、日本福祉文化学会では既存のソーシャルワーカーのスタンス、既存職員の専門性についてどう考えるのか?
→そのあたりを前面に出しながら、考察を深めた研究論文はなかったが、13号以降で、タイトルだけ拾ったもののなかでは、ソーシャルワーク関連では3編ぐらいある。学校ソーシャルワーク、介護民俗学としての回想法とソーシャルワークの方法論などがある。
*感想としては、一番ヶ瀬先生の「日本福祉文化学会から、矮小化、管理化の傾向をもった制度運営に人間を取り込んではいけないと発信していくべき」という発想は既存の社会福祉から別のパラダイムの意味を含めて福祉文化研究があるのではないかと思う。
古川孝順先生は既存の自己実現としての社会福祉の中で、問題の広がりとして文化的なものを重視しなければならないとしている。しかし、従来のソーシャルワーカーを通して、自己実現できるようなものとしてはどの方法でできるのかについて具体的な研究はなかった。福祉文化で実践研究となるとどういった方法があるのか疑問がある。また、研究方法論はどのように位置付けられるのか。量的調査ではデータに基づいて検証していく手法だが、質的研究との二つの研究法の融合性を図っていくことも大事ではないか。
福祉文化でみると第3の方法だと思う。客観性を問われる方法として福祉文化研究のモデルとして研究方法論的にも歴史研究方法論として発展させ、位置づける必要があるのではないか。アクションリサーチをする過程で研究者の問題意識を中心とした研究になりやすい。
→問題は研究者と対象者であるタテ関係自体にある。この枠組みであればタテ関係を問題視するのが重要である。福祉文化研究方法論を学会でも確立していくことも必要ではないかと思う。
→介護現場でソーシャルワーカー養成教育の中身に問題点を感じる。養成教育、大学教育でも中身を変えていく必要がある。それに国家資格を得たあとも研修や教育のあり方、人材養成における中身を変えていく教育の質の問題である。専門性というのは対象者に適するものなのか疑問がある。養成過程全体をみた専門性とはなにか、専門性の位置づけ、中身を見直す必要もあるのではないかと思う。
*これからみんなで福祉文化研究関連の本を読んでみるのもいいのではないか、また福祉文化らしいものを共有できたらいいと思う。過去から現在にいたるまでの専門性に関するレビューを含めてみていきたい。
⑤ 研究と実践を融合する意味として福祉文化セミナーは研究の対象にならないのはなぜ?現場でも経験を理論化する方法とは?
*研究という視点から現場セミナーが発見したことを文字化することは大事である。現場セミナーは大事だけど、現場にいけばいいということではなく、どうして選んだのか見えにくいこともあるので、その点は反省しつつ、今後は得られた成果を言語化することは大事である。現場セミナーでレポートを書かせる方法がある。直感で現場を選別することも大事であり、そこでなにを感じたのかということも重要だと思う。またこれまでの現場セミナーを見てみると、ある一定の傾向があることがわかる。すなわち、当初は福祉施設の中における福祉文化を考え、施設利用者の文化度を高めていくという点に問題意識があった。それが次第に、「地域」に広がっていく傾向がある。真の意味で福祉文化的な現場セミナーにしていくことが必要である。
新潟の現場セミナーは毎年開催している。メンバーで話しあい、社協の方に意見を聞いてから地域の開催地の協力者(市町村)を見つけてセミナーを開催する。いままでは学会の方から講演を聞く、または映画をみる現場セミナーもあった。中には「これで福祉文化現場セミナーなのか?」と疑問に思うものもあった。
→今回の現場セミナーのタイトルからみると、すべての人が買い物に参加できる地域づくりというより、「買い物に参加させてあげる」というふうに捉えられる可能性がある。むしろ、買い物をする地域の文化といったように買い物を通してコミュニケーションをとる、買い物によって自分の暮らしを豊かにする、買い物をして料理を作りみんなで食べるというように、買い物をする行為がどのような視点をもっているかが大事である。現場セミナーの記録を共有する必要がある。
現場セミナーの通信とかパンフレットとか簡単な記録と現場セミナー年表があるので原材料を使ってまとめてみれば整理できると思う。今日の報告者の方法論を使ってみればどうだろう。
*一番ヶ瀬先生の「福祉を切実に必要とするいわば『被差別』『弱者』『逆境』の人々あるいはその痛みを知る人こそ、真の文化を生み出すという視点を明確にしながら・・・」としているが、この視点としての研究テーマが少ない。
→真の文化として取り上げられたものは少ない。こういったものが出てきてほしいと思う。
音楽の点からいうと近代以前、検校、邦楽のお琴とか社会的音楽活動の伝統が過去にはあったが、制度化されてから問題となり、福祉サービスの対象者という立場になると問題化されてしまう。被差別者である在日コリアンのインタビューで、在日一世の話から心に残ったのは、自分の国で死にたいけど戻る場所がないという問題であった。在日コリアンは日本にも定着できない、韓国にも戻れないという立場にいる。
*相談関係の仕事で、スクールソーシャルワーカーをしているが、実践をバックアップする実践研究が大事ではないか、これが福祉文化ではないか。現場からなにを発信できるのかという疑問がある。対象者と専門家との関係では外部から生活をサポートする立場ではなく先生の立場になってしまう。そういうのを言語化していくのが自分の課題である。
質問:日々どのようなことを目の当たりにしているか、具体的な場面を紹介してほしい。
→自分では教育または子どもの生活を豊かにするという意思はあるが、いつも学校にいない人として発言することが難しい。その中でもきっかけとして廊下の立ち話を効果的にしていくようなちょっとした関係、一対一関係を積み重ねていくと居場所が見つかるのではないか。そして先生と子どもたちに支えられ自分も成長していく。
*現場セミナーによく参加してきたが、知らない人と関わりを持つというところに現場セミナーの意義があり、学問的であるかないかと言うより、もっと意味深いものを感じてきている。一番ヶ瀬先生は現場と研究者とが相互作用していくことの大事さを話していた。制度と社会的な背景や変化とを照らし合わせながら比較していくと、論文の変化が見えてくるのではないか、それと同時に論文の減増が見えてくるのではないかと思う。
*福祉文化の研究はどうしていくか、専門性とは専門知識と技術があるから専門性だとはならないと思う。それに言語化されていない問題、現場セミナーの問題もある。また、人間関係とはこれから大きなキーワードではないか、いろいろな問題点が出てきているが、より具体的なものにしていきたい。
⑥ 今後の予定を含めて議論
○現場セミナーへの新たな提起:優れていない実践の現場セミナーを通して議論。
○福祉文化指標の開発:福祉文化水準に注目して学会として福祉文化指標を開発して検証。
○学会の研究活動の総括:福祉文化学会の活動を振り返る。
○新たな研究・集会の手法の実践
○「私にとっての福祉文化」報告
○六車由実さんを招く
○福祉文化の定義づけ
○播磨―姥山論争についての検討
*今後の予定として福祉文化らしいモデルを見分ける、論文と現場セミナーを検討するような方法もある。25回の大会にむけて準備していく上で、報告と議論をしながら福祉文化観を見つめなおし、福祉文化指標を開発していく。または各自の発表を通して福祉文化観を見つめなおす方法がある。材料としては、学会の研究活動の総括を見つめなおす、六車由実さんの本を読む、播磨―姥山論争を振り返る等がある。25回の大会までは福祉文化指標を作っていく方向にしていきたい。
20回大会のシンポジウムの映像(60分)をもう一度検討する方法もあるが、もう少し確実に共有できるテキストで読んでから議論するのがいいのではないか、または各自の福祉文化の共通認識を共有する方法もある。
次回は実践の経験と振り返りを共有していく意味で、北陸ブロック福祉現場セミナーの話と実践現場の話を共有する。
4.次回の予定
日時:12月16日(日)13時30分(場所は未定)
報告:五十嵐真一、前嶋元
(文責:李京真)
福祉文化よもやまゼミナール 第1回報告
○日時 2012年7月7日(土)14時~17時
○場所 立教大学 池袋キャンパス13号館
福祉文化研究の方向性~もう「福祉文化とは何か」を考えるのはやめよう 話題提供 薗田 碩哉(日本福祉文化学会顧問)
【福祉文化よもやまゼミナール 第1回】
福祉文化研究の方向性~もう「福祉文化とは何か」を考えるのはやめよう
話題提供 薗田 碩哉(日本福祉文化学会顧問)
1 「とは何か」論の不毛
・「とは何か」を繰り返して結論は出たか?
・「とは何か」は入り口であって目標ではない
(定義は操作概念:それによって何が見えてくるかが重要)
・概念は差違と対立の中にしかない~実体化の罠にはまるな
2 「福祉文化の研究」から「福祉の文化研究」へ
・「福祉文化」という呪文~何やら素晴らしいものがある? 聖化の誘惑
・社会福祉サービス全般を「文化の相の下に」見直す必要
・福祉における非文化的な状況を改善するための研究
(事例)「利用者を子ども扱いするレクリエーション」の問題
3 カルチュラル・スタディーズという方法
・「文化」それ自体を批判的に見る
文化は人類学的・民俗学的記述の対象?
文化は西欧近代のブルジョワ的価値と一体化した指標?
文化は互いに矛盾するさまざまな価値が衝突するアリーナ
・日本的福祉文化の特徴をカルスタ風に解明する
禁欲主義、専門家の支配、メインカルチャーとの断絶・・・
4 事例研究:六車由実『驚きの介護民俗学』(医学書院 2012)
・民俗学者が介護者になったことの驚きの体験
~老人ホームは民俗学の宝庫
・民俗学から見た認知症~トコトンつき合い、トコトン記録する
・「回想法」批判~その非対称的な関係性
5 「よもやまゼミ」への提案
・これまでの研究成果を読み直し、整理してみよう
・現場の問題にこだわる~優れていない実践こそ検討の課題
・フィールドワークとワールド・カフェをやってみよう
福祉文化よもやまゼミナールの開催趣旨とこれまでの経緯 馬場 清(日本福祉文化学会研究委員会担当理事)
第1回福祉文化よもやまゼミナール資料(2012.7.7)
福祉文化よもやまゼミナールの開催趣旨とこれまでの経緯
馬場 清(日本福祉文化学会研究委員会担当理事)
1.目的
「日本福祉文化学会の21年間の成果と問題点の総点検」(仙台大会で河東田会長より報告のあった「新評議員・新理事顔合わせ会への提案」より)
2.「福祉文化とは何かを考える」取組のこれまでの経緯
1997年~ 『福祉文化論』(有斐閣)
刊行後、「福祉文化とは何かを考える研究部会」を設置し、著者を迎えての議論を行った。
2003年~ 「研究企画委員会」の設置
委員会での討論、地方ブロックのアンケートなどを通じて、福祉文化とは何かについて議論を重ね、その結果を第14回大会(埼玉大会)で報告した。
2004年~ 「福祉文化とは何かを考える研究会」
埼玉大会での議論をさらに深めるために、2回にわたって、小冊子の内容に基づき、議論を行った。その結果は、当該年度の研究誌にまとめた。
2010年 日本福祉文化学会20周年記念全国大会(東京大会)
第20回大会で、それまでの歩みを総括すべくシンポジウム「福祉文化は何を残してきたのか」を行った。
3.福祉文化とは何かを考える上での重要資料
①薗田碩哉「文化批判の学としての福祉文化研究 カルチュラル・スタディーズの視点から」(実践女子短期大学紀要 第30号)
②一番ヶ瀬康子・河東田博編『障害者と福祉文化』(実践福祉文化シリーズ2・明石書店)
③河東田博編『福祉文化とは何か』(新・福祉文化シリーズ1・明石書店)
④國光登志子「福祉文化研究の対象の広がりと接点」(立正大学社会福祉学部編『福祉文化の創造』ミネルヴァ書房所収)
4.福祉文化よもやまゼミナール活動計画
①目的及び方針
・福祉文化概念の整理と深化
・日本福祉文化学会のこれまでの成果と問題点の総点検
・誰にでもわかる福祉文化の定義の構築
・現場の実践を踏まえた福祉文化概念の検討
②開催計画
・3か月に1回程度(6月・9月・12月)
・計10回の研究会
・研究会の内容はホームページ等で公開
・その成果を2014年11月の全国大会で報告
③内容案
・河東田会長に「創造的福祉文化社会とは」と題して語ってもらう。
・「播磨VS姥山・桜井」論争について
・キーワードで語る「福祉文化」
「福祉の文化化」「文化の福祉化」「文化としての福祉の創造」・・・
・対立軸で語る「福祉文化」
「入所施設の福祉文化」VS「地域の福祉文化」
「先進的な福祉文化」VS「草の根的な福祉文化」
「正の遺産としての福祉文化」VS「負の遺産としての福祉文化」
「福祉文化学会的福祉文化」VS「行政的福祉文化」
・介護保険下での福祉文化実践
・薗田福祉文化論を語る
④目標
・第25回大会で報告
・成果物として「誰にでもわかる福祉文化」の制作
第1回開催記録
福祉文化よもやまゼミナール 第1回
日時 2012年7月7日(土)14時~17時
場所 立教大学 池袋キャンパス13号館
参加者 五十嵐、磯部、國光、島田、杉崎、薗田、馬場、林、前島、松原、李、阿比留(敬称略)
1.自己紹介
2.福祉文化よもやまゼミナールの開催主旨とそれまでの経緯(報告 馬場 清)
資料:日本福祉文化学会・研究企画委員会報告「福祉文化とは何か」(2003年度第14回日本福祉文化学会埼玉大会研究報・討論会資料)(資料1)
馬場清「東京大会シンポジウム『福祉文化は何を残してきたのか』総括と今後の展望」『福祉文化研究』20号、2010年(資料2)
○福祉文化よもやまゼミナール開催のきっかけ
今回、福祉文化よもやまゼミナールを立ち上げたきっかけとしては、2011年度の学会仙台大会で、河東田会長から新執行部に対して、任期の3年間の間に今までの日本福祉文化学会がなにをやってきたのか成果をまとめ、学会の現状を分析してほしいという提案があったことが挙げられる。
○福祉文化学会立ち上げの背景
1970~1980年代に、救貧的・慈悲的な従来の福祉の枠組みを超えた実践が登場し、福祉の利用者の可能性を開花させる実践が達人芸のようなかたちで展開されるようになった。また、1987年の「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定され、資格制度が整備されたことは、専門職としての福祉従事者の資質の向上に役割を果たす一方で、資格制度の枠内で画一化された福祉のあり方に陥るリスクもはらんでいた。このような状況のなかで、新しい福祉のあり方をみんなで考え、一人ひとりがいきいきと生きる福祉のあり方を考えようという理念のもとに、一番ヶ瀬康子先生を中心にして1989年に福祉文化学会が設立された。
初代会長の一番ヶ瀬先生が学会の活動から一線を退かれた現在、一番ヶ瀬先生のカリスマ性に依拠する部分の大きかった学会のあり方を見直し、「福祉文化」の魅力のもとに人が集まってくる学会のあり方にしていく必要がある。福祉文化の魅力や意義について考えたいという気持ちが今学会内に大きく存在しているといえる。
○「福祉文化」の定義をめぐる学会の動き
これまでも学会として、福祉文化とはなにかということが折にふれて論じられてきた。
学会設立当初の1990年に一番ヶ瀬先生は、「福祉の文化化」と「文化の福祉化」を総合的にとらえた概念として福祉文化を説明しているとはいえ、福祉文化の明確な定義づけがなされてきたとは言えず、福祉文化についての最初の出版物である一番ヶ瀬康子他編『福祉文化論』(有斐閣、1997年)でも、様々な執筆者が福祉文化について統一見解をもたずに書いている。
1996年につくられた「福祉文化とは何かを考える研究部会」では、『福祉文化論』をテキストとして議論をおこない、1997年度の学会紀要(『福祉文化研究』第6号)では学会運営に中心的にかかわった方を迎えて福祉文化についての座談会を実施した。
その後、2002~2003年度の研究企画委員会で福祉文化について正面から定義を考える活動をおこなうこととなり、全国各ブロックに対して福祉文化の具体的活動をたずねたり、福祉文化活動の要素・要件を出して検討を重ね、議論した内容について第14回埼玉大会で研究企画委員会として報告をおこなった。さらに、2004年度には、2回にわたり4人の方に報告していただき、福祉文化とは何かを考える研究会を実施しており、その結果は、『福祉文化研究』第14号、2005年に議論のまとめが掲載されている。
このように、福祉文化の定義についての検討はこれまでもなされてきたのだが、いつも、検討結果をまとめたところで終わってしまう傾向があった。
○2010年度東京大会での問題提起
2010年の東京大会では、「福祉文化は何を残してきたのか」というシンポジウムを実施し、学会創設時から進歩的福祉文化実践をおこなってこられた「福祉文化の達人」ともいえる、たんぽぽの家の播磨靖夫さんやゆきわりそうの姥山寛代さん、さくら苑の桜井里二さんをお呼びした。
しかし、たんぽぽの家の播磨さんは、ゆきわりそうの姥山さんの実践に対して「胡散臭さ」を指摘し、その指摘は日本福祉文化学会そのものに対する播磨さんの認識でもあった。
また、高齢者施設であるさくら苑の桜井さんは、20世紀におこなっていた実践を語り、21世紀になってからの実践についての話は一切語らなかった。そして、介護保険がはじまって以降福祉文化の活動をする余裕がなくなり、職員に安定的に給料を出すためには桜井さん自身が経営者に徹さざるをえず、福祉文化の活動をするのが困難になったと語られた。
『福祉文化研究』20号(2010年)の馬場清「東京大会シンポジウム『福祉文化は何を残してきたのか』総括と今後の展望」にこの大会での議論がまとめられているが、様々な課題が表出する機会となった。以下の2点について検討し、でてきた課題を引き受けることが求められよう。
①シンポジウムでの姥山さんの問題提起をひきとり、「播磨・姥山論争」を検討する場を設ける。
②「現場の閉塞感」を踏まえた上での「福祉文化実践」のあり方について検討する場を設ける。
○福祉文化よもやまゼミナールの今後のみとおし
福祉文化よもやまゼミナールでは、上記事項の検討をつうじて学会のこれまでの成果と総点検をまとめ、2014年度の25回記念大会を目標として、なんらかの発表をしたい。
ゴールイメージのひとつとして、大会発表をするということになっているが、それ以外の部分についてはまだ不明確で、アウトプットのかたちは、冊子にまとめることにかぎらず、多様なかたちを考えられるとよいかと思う。
3.福祉文化研究の方向性~もう「福祉文化とは何か」を考えるのはやめよう(報告 薗田)
資料:薗田碩哉「文化批判の学としての福祉文化研究 ―カルチュラル・スタディーズ
の視点から」『実践女子短期大学紀要』第30号、2009年(資料3)
○「福祉文化」という呪文~何やらすばらしいものがある?
馬場報告でも指摘があったように、日本福祉文化学会は最初に「福祉文化の達人」に焦点を当てて活動が始まったことによって、福祉文化の「神聖化」が起きてしまったのではないか。神聖・深遠なる福祉文化を解明するというのが学会の目的になってしまった。
学会では「福祉文化とは何か」ということを、20年にもわたって検討し続けているが、もういい加減にしたら、と言いたい。そもそも「~とは何か」という命題には、①「テレスコステレンキョとは何か」のように、何を意味するのか全くわからないものの具体的内容を解説する場合、②「ネコとは何か?」のように誰もが知っていることについて本質論的に論じる場合の二つがある。福祉文化の場合は、始めは①のような論議が、やがて②の本質論になり、抽象的な概念だけにさまざまな考え方が出てきて決着がつかないという落とし穴にはまってしまった。一義的な定義を目指すことは止めて、現場の実践をゆたかにするための操作的概念として福祉文化をゆるやかにとらえたほうが生産的であろう。
東京大会のシンポジウムでの播磨―姥山両氏の議論は、現場からの批判として提起されてきたものであり、このゼミナールではそこをしっかり受け止めて議論をしてみたい。惜しむらくは、シンポジウムの記録が残されておらず、播磨さんは生の言葉で何と言ったのか、姥山さんは何と言ったのか、が分からない。馬場さんが研究誌に書かれた総括はそれなりに理解できるが、その前にご本人たちのそのままの言葉の記録がみたい。この学会の問題として、大会や研究会の議論の記録をきちんと残さずに終ってしまう点が挙げられる。今後は議論したことをできるだけ丁寧に文字化していただくことを求めたい。
「とは何か」論の最新のものは2010年刊の『福祉文化とは何か』(明石書店)だが、そこに掲載された「河東田福祉文化論」では「創造的福祉文化」という概念が打ち出されている。この用語には「福祉文化とは創造的なものである(ありたい)」というメッセージが込められていると言えよう。「創造的福祉文化」が存在するという主張は、「非創造的福祉文化」もあるということを含意していると解釈したい。福祉文化の中には創造的なものも非創造的なものもあると考えれば、「福祉文化」自体は「福祉領域における文化」ということで客観的に定義できる。福祉文化を必要以上に神聖化することから自由になれる。
○「福祉文化の研究」から「福祉の文化研究」へ
そうした視点から1つの事例を上げたい。2001年の新聞の投書で「デイサービスで行われているレクリエーションは高齢者を子どものように扱った幼稚なものが多く、デイサービスの話を父親から聞いて胸が張り裂ける思いがした」という家族の声が掲載され、それに対して新聞記者は「レクリエーションでは、もっと“素人の発想”で利用者のやりたいことをやればよい」と論じた。
レクリエーションを豊かにするために、“素人の発想”から前進して、レクリエーションについて専門的な研修を受けた介護福祉士がよりよいプログラムを提供するというのが、介護福祉士法の目指すところであった。だからこそ介護福祉士のカリキュラムに「レクリエーション活動援助法」が位置付けられ、援助方法やレクリエーション財に関する学習が行われてきた(その後のカリキュラム改定でレクリエーションは消えてしまうが)。しかし、実際に現場に入ってみると、レクリエーションを保障する仕組みも余裕もない。介護保険はレク援助に対する支払いを認めて来なかったのである。現場は質の高いレクリエーションをやりたいのにやりようがない。新聞記者は、福祉現場のレクに関するこの制度的な欠陥に気づかない感情論で記事を書いてしまった。
その後10年近く経ってまた他の新聞が同様の記事を書いた。同じような趣旨で家族の怒りが取り上げられていたが、小さな進歩は「遊び心を持って参加すればレクも楽しいのでは」というボランティアのコメントが載ったことである。一般の福祉文化理解というのは、そのレベルにある。
高齢者の福祉現場のレクリエーションに私も関わってきたが、一般に高齢女性の反応のほうがよい。高齢男性は遊び心がなく、反応が悪く、楽しめない傾向が強い。それは男性がそれまで過ごしてきた社会経験と、そこでの遊び観の反映である。働くことにしか価値を認めなかった産業社会の病弊や社会の遊び観の貧しさこそを批判すべきである。
福祉文化研究には、福祉現場に起こっている様々な問題や事件を「文化」という視点で批判し、そのメカニズムを解明し、改善提言をしていく役割がある。福祉サービスの経済性やら法制的側面が議論されてきたのと同様に、福祉サービスを文化的にチェックする視点が求められる。「福祉文化研究」とは「福祉文化」の研究ではなく、福祉の「文化研究」だというのが私の持論である。
○カルチュラル・スタディーズという方法
それでも「福祉文化」という概念を立てたいというのであれば、概念は差異と対立の中にあるのだから、福祉文化を何に対置させて検討し、他の文化とどのような差異があるのか(例:大衆文化―福祉文化など)という視点から検討するとよいだろう。福祉文化を「福祉文化の達人」によってなされる立派なものとして神聖化してしまうことは、独善に陥るだけであり、生産的な議論にはならないだろう。
研究誌で馬場さんが、「播磨-姥山論争」についての総括を試みている。姥山さんの実践が障害者を健常者に「同化」することを目指すものであるのに対して、播磨さんがたんぽぽの家の実践で目指していたのは、障害者の独自の世界を承認して「異化」する方向であったと整理したうえで、「同化的福祉文化」と「異化的福祉文化」を総合し「創造的福祉文化」をつくっていくという河東田理論を援用してまとめている。
事の整理としてはスッキリしている。しかし、これで播磨さんが納得するとは思われない。播磨さんは、同化の論理がもっている権力性―障害者を健常者の世界に迎え入れるという一見、望ましく見えることの背後に、健常者の世界こそが本来であるという優越の意識や障がい者への抑圧が潜んでいる―を批判したのだと思う。同化的福祉文化と異化的福祉文化は、そんなに簡単に幸福な融合を果たすことはできないであろう。
1960年代から登場した「カルチュラル・スタディーズ」という文化研究の方法によって、これまで疑いもなく善であり価値であると思われてきた「文化」を批判的に捉えなおす作業が始まった。社会福祉領域でも、この方法を適用した文化批判が行われていいと思う。
昔の日本の老人ホームは非常に静粛な雰囲気で、笑いさざめいたり、遊んで騒いだりということがあまりなかったと思う。これは「劣等処遇原則」が行きわたり、社会の恩恵にすがって生きる者に贅沢や遊びは許されないというモラルが福祉従事者にも福祉利用者にも内面化されていたからである。そのような日本の福祉文化の禁欲主義、専門家支配、一般社会(メインカルチャー)との断絶の状況をカルチュラル・スタディーズ風に解明していくことから、さまざまな知見が得られるだろう。
先に述べたデイサービスのレクリエーションの問題で、不満を表明するのが福祉利用者本人ではなく、家族である点が特色だった。それは、福祉利用者が施設の福祉文化に慣らされてしまうのに対して、一般社会に生きる家族は、福祉文化の禁欲的な貧しさと大衆文化の豊かさとのギャップを強く感じるために、施設に対する不満や苦情が出てくるからであろう。これも福祉文化が一般の文化から切り離されてきたことを示す事例と見ることができよう。
○六車由実『驚きの介護民俗学』(医学書院、2012年)を受けて
この本では、民俗学者から介護福祉士に転身した六車さんが、老人ホームは過去の知のつまった民俗学の宝庫であることを発見し、文化に対する見方の転換(カルチュラル・ターン)を鮮やかに描き出している。六車さんは、高齢者たちの語りの中からこれまでの時代とそこに生きる人々の暮らしが浮かび上がってくると感じ、高齢者の回想を聴きとって記録する活動を続けていくが、いま現場で広く行われている「回想法」の実践者たちからは方法論で批判を受ける。回想法においては、聞き手によって促され、話を引き出される語り手は、常に配慮される存在で、両者の関係は非対称性であると六車さんは感じる。カルチュラル・スタディーズ風に言うと、そこに一緒の権力関係を見てしまうということである。それに対して六車さんは、語る人と聞く人が対等な立場で存在しうる聞き取り法の意義を浮かび上がらせている。
『福祉文化研究』にも民俗学的視点から論じられた論文は存在しているが、まだ、民俗学のレビューという域を出ない。もっと突っ込んで、民俗学の方法を福祉領域につなげていくことにより、新たな発見が得られるのではないか。それを福祉現場に返していくことによって福祉文化の前進が可能になるだろう。
○よもやまゼミナールへの提案
①現場セミナーへの新たな提起
「すばらしい実践」の背後には、実践の中心にいる人のすばらしさのみでなく、その実践を支えるすばらしい人間関係、「つながり」や「絆」がある。特に人と人とのつながりは実践を支える一番の原動力であるように思う。今後の現場セミナーでは、優れた実践者の持つ「ヒューマン・キャピタル」のみでなく、その個人や活動の周囲に存在する「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)に注目すべきである。
「すばらしい実践」を他へ移転することが難しいのは、個人の能力だけの問題ではなく、その現場を支える「ソーシャル・キャピタル」が、他の場所では簡単に作ることの出来ないものだからである。「すばらしい実践」を知ることに価値がないわけではないが、むしろ「優れていない」実践を検討・批判・チェックし、ソーシャル・キャピタルの蓄積という視点から、その実践の今後の可能性を検討することが有益ではないか。これからの現場セミナーは、優れた福祉文化を追うのではなく、問題や課題のあるものを検討することによって、かえって他への広がり(応用可能性)が見えてくるのではないか。
②福祉文化指標の開発
福祉文化が優れたものからそうでもないものまでを含む、混沌とした領域だとすれば、その文化度を測定して指標化することが可能になる。そこで例えば老人ホームの「福祉文化水準」に注目して、学会として福祉文化指標を開発して検証し、その結果を発表してはどうか。福祉文化研究とは、目標となるような優れた実践に注目するだけではなく、現実にある問題点を見つめ、それを明確化し、その改善の方向や方策を社会に対して打ち出していくことではないかと思うからである。
③学会の研究活動の総括
福祉文化学会がこれまで23年間に何をしてきたか、ということをきちんと振り返ることは欠かせない課題である。『福祉文化研究』に掲載された研究論文をもう少し丁寧にチェックし、テーマと方法の整理をしていってはどうだろうか。そして「福祉文化研究」としてふさわしいモデルとなる研究を改めて会員に紹介してほしい。
④新たな研究・集会の手法の実践
フィールドワークを積極的に進めたい。また、「ワールド・カフェ」という、小グループでメンバーを入れ替えながら議論する、新しい方式を試してみたい。私もいろいろ試してきたが、間違いなく面白い。おススメである。
4.質疑と議論
○「福祉文化」という視点について
・福祉文化セミナーにいくと、地域福祉とどうちがうのか疑問を感じることも多い。
→遊びは他の領域には回収されづらい視点なので、現場セミナーにもっと遊びを取り入れると福祉文化らしくなるだろう。
・高齢者施設のレクリエーションで男性、女性で反応が異なるということに面白さを感じた。それは現役時代に触れていた文化の影響が強いのではないか。高齢者という切り口でも、その前の世代のときの経験の影響が大きいのではないかと思った。
→職場文化での経験がリタイア後にも影響する。企業では退職準備プログラムを実施しているところも少なくないが、「年金」、「健康」について学ぶとともに、「余暇問題」について、退職前の文化を捨てたあとの新しい文化について学び-退職後に参入していく社会の文化の流儀に添った人とのつきあい方、楽しみ方、口のきき方など-文化的な軟着陸を支える必要があるだろう。同時にこの問題は職場の福祉文化の問題でもある。職場の文化活動において、従来の福利厚生という労働を補完する方向から脱皮して、新しい文化への軟着陸を支え、一生の幸福を担保し、いろんな側面から生き方を考えるプログラムを充実させるべきだろう。
・(前の方の退職後の男性の文化活動状況の話を受けて、)ある年代に作られたベッドタウンで開催される大学の生涯学習講座として担当していた自分のピアノ演奏の活動について思い出した。開催施設の職員の方からはこの講座が他に比べて(その年代の)男性の参加の割合が高いときいていた。講座の受講生の方々から得た反応は、次の三つに分類された。①サービスの消費者として評価されたこと(安くていい、近いから便利、気が利いている、②心配・励ましをされたこと(毎週大変ですね、参加者が増えないと大変でしょうなど)、③自分の人生で一生懸命やってきたことをプレゼントのように話されたこと、である。特に③の話については、一方的にサービスを供給・消費する関係を超えて、演奏者と聞き手とが相互に文化を創造しあう市民主体的な関係の萌芽を見出すことができたと思っている。
・例えば、ノーマライゼーションなども「よいもの」として答えありきで推進されているように感じており、大衆が正しいとしている価値観に「福祉」が支配されているように感じる部分がある。
・支援においてゴールを設定すること自体にも違和感があり、自身の実践では、ゴールも意図も設定せずに、共にかかわりあう中で自然に遊びがつくられるという経験をしており、ゴールや答えを事前に規定してしまうことに抵抗がある。ゴールを設定しなくとも、相手に向き合う姿勢に対してお金がついてきてもよいと思うが、なかなか難しい部分がある。自分自身も「あたりまえ」といわれるものに支配される点がある。
→福祉のなかで「あたりまえ」と思われている点を疑い、そこに風穴をあけることができるとよいなと思う。文化批判とはそういうことだと思う。
○福祉をめぐる環境について
・認知症の広まりとともに「療法」的なものが流行し、「療法」への要請が高まっている。この「療法」への評価のようなものも、福祉文化学会として取り組んでいったらよいのではないか。
・支援現場で、支援者が信頼関係を築ける利用者もいれば、支援者にとってどうしても好きになれない利用者もいる。そういうときに、スーパーバイザーの必要性を感じつつも、日頃忙しく、振り返り確認していくことができなかったことに対する後悔のようなものがあり、福祉分野における教育や研修が課題となってくると感じた。
→福祉文化研究では、福祉現場の問題自体をもう少し引いた立場から考えることもできるのではないか。福祉現場は頭脳労働でも肉体労働でもなく、「感情労働」であるという論点が近年出ている。感情労働の職場にはどのような問題が起きており、そこで生じる問題をどう捉えることができるかを考え、現代社会における働き方そのものについて考えることなども福祉文化研究のテーマではないかと思う。
○「福祉文化とは何か」をめぐって
・学会としては、福祉文化のビジョンこそが求められていると思う。定義というのはあくまで操作的な概念であり、その定義によって論議が進むことが肝要だ。ゆるやかな共通認識がつくられる程度の定義で十分ではないか。
・定義にばかりこだわると不毛な論議に陥りやすい。ビジョンを打ち出して問題提起をおこない、それについての様々な政策を提起していけるとよいのではないかと思う。そのために福祉文化をわかりやすく説明することができればよい。
・やはり、学会としては、福祉文化ということを定義していかなければならないのではないか、という気もする。
→広報戦略としてはあってよい。あまり難しく考えないで理事会が決めたらいい。
・「~とは何か」にばかりこだわるなと言っていることはわからなくはないが、「めざすべき方向や状態」が示せれば、指標云々というところにも生かせるのではないかと思う。学会として、こんな方向を目指しているということは明示できないものか。「福祉文化」をゆるやかな問題領域として取り扱い、本質論にしなければよいのではないか。
・「福祉の文化化」はわかるのであるが、「文化の福祉化」はあまり腑に落ちていない部分がある。
→福祉を文化という視点から見るのが「福祉の文化化」である。逆に文化を福祉という視点からみるのが「文化の福祉化」である。これまでの一般的な文化は福祉を埒外にしており、文化という問題のなかに福祉という発想は入っていなかった。しかし、文化というのは本来福祉を豊かにするものだから、今の文化状況のなかに福祉を大きな課題として入れていくことが「文化の福祉化」であると思う。「福祉の文化化」と「文化の福祉化」の両者をセットとして進めていくことが私たちの目標である。
○今後の学会とゼミナールや現場セミナーのあり方について
・注目されている実践を単発で見学する現場セミナーのみではなく、改善点などを考えたいと感じている現場に行き、継続的にかかわり、互いに検討していくような「かかわれる現場セミナー」をしてはどうか。
・このゼミナールでなにがしたいのか、ある程度の目標事項は必要ではないか。
→次回までに、自分の感想およびこれからしたいこと、ゼミナールを通じて実現したいこ
とをA4 1ページ程度にまとめる。
・学会も1つの業界団体に他ならない。学会が活発化するためには、第一にその領域を勉強することが仕事につながることが大切だろう。第二に、福祉文化指標を毎年発表するなど、社会的発言をして注目されることも重要だ。
→仕事を得ることだけでなく、福祉文化とはどのようなことを示しているか知らせていく義務があると思う。福祉文化の重要性を伝えていくことが学会には求められており、広告力やPR力が問われる。
5.次回の予定
日時:9月15日(土)13時30分(場所は未定)
報告:國光登志子
参考文献:國光登志子「福祉文化研究の対象の広がりと接点」立正大学社会福祉学部編『福祉文化の創造』ミネルヴァ書房、2005年
次回までにすること:第1回の内容を受けて、①意見感想、②今後のゼミナールの方向性への提案をA4・1枚程度にまとめる。
(文責:阿比留)
次回)
○日時:2012年9月15日(土)13時30分~
○場所は未定
報告:國光登志子
参考文献:國光登志子「福祉文化研究の対象の広がりと接点」立正大学社会福祉学部編
『福祉文化の創造』ミネルヴァ書房、2005年
「福祉文化よもやまゼミナール」に参加しませんか?
このたび日本福祉文化学会研究委員会では、「福祉文化よもやまゼミナール」を立ち上げ、広く会員の皆さんと「福祉文化」について議論する場を設けることになりました。
日本福祉文化学会は1989年設立以来、「福祉文化」について、様々な場で研究するだけでなく、現場から学びながら、福祉文化のあり方について検討を進めてきました。その蓄積の上に、改めて皆さんと現代社会における「福祉文化」のあり方について、意見交換ができればと思っています。
と書くと、何か堅苦しいイメージがありますが、研究者の方はもちろん、最近入会されて「福祉文化ってよくわからない」という方、現場で「もっと楽しい実践をやりたいけどなかなかできない」と思っている方など、誰でもご参加いただけます。
《活動概要》
3年間にわたり計10回(3ヶ月に1回程度)のゼミナールを開催し、その中で福祉文化に関わるテーマについて話題提供者から報告をしてもらう。その報告に基づき、参加者で討論する。ゼミの内容は、2014年度第25回全国大会までに何らかの形でまとめ、報告する。
《活動予定》
★第1回福祉文化よもやまゼミナール
日時:2012年7月7日(土)14時~17時
場所:立教大学池袋キャンパス会議室
テーマ:「福祉文化研究の方向性 もう『福祉文化とは何か』を
考えるのはやめよう」(仮)
話題提供者:薗田 碩哉(日本福祉文化学会顧問)
《参加条件》
この「福祉文化よもやまゼミナール」は、参加者全員が対等な立場で話し合いをする場となるように考えています。ですので、原則として東京で行われるゼミナールに継続して参加できることが条件になります。興味のある回だけの参加は認めません。最終目標である第25回全国大会までの計10回のゼミナールに継続して参加する意思があり、主体的に関わろうと思っている日本福祉文化学会の会員の方であれば、どなたでも参加できます。
ゼミナールの詳細・申込先
kenkyuu_yomoyama
第2回「福祉文化」理論研究集会報告
日本福祉文化学会研究委員会主催で、第2回「福祉文化」理論研究集会が、2009年9月29日(火)18時から、昭和女子大学80年館2L36教室で開かれ5名が参加した。
「地域福祉のもとでの“福祉文化”論」と題し永山誠氏(昭和女子大学)が報告した。
報告は、東京都地域福祉推進計画等検討委員会報告書、社会保障制度審議会「1995年勧告」、社会福祉基礎構造改革関連文書、社会福祉法の解説文書、新カリにもとづく社会福祉士養成テキスト、日本経済調査協議会報告書等を基礎に報告がなされた。
レジメの要旨は、(1)戦後社会福祉の転換と福祉文化、(2)東京都の地域福祉政策文書、社会福祉基礎構造改革関連文書、(3)経済団体の価値体系論とその労働統計的検証によって行政側の「福祉文化」論のフレームワークとその価値体系について論究された。
その後、参加者で討議がなされ、東京都の「福祉文化」論に関する定義の文献的事実関係の確認と評価が論議され、扱われている価値体系をどう理解するか提示された資料をもとに意見が交わされた。
結論として、評価の良し悪し以前に、行政側の「福祉文化」論について正確な理解が必要であるということが共通に理解された。
第2回「福祉文化」理論研究集会
第1回理論研究集会は、一番ヶ瀬先生と長期の共同研究を重ねてこられた津曲祐次先生(長崎純心大学大学院教授)に「一番ヶ瀬康子先生の『福祉文化』論考」と題して2009年7月25日に報告していただいた。内容は、一番ヶ瀬「福祉文化」論形成の理論的・社会的背景について包括的な報告と、報告を基礎にした21世紀社会福祉研究の課題についての論点も示され、極めて刺激的で示唆に富む「福祉文化」理論研究についての報告となった。
第2回は、21世紀の新たな社会福祉理念下における福祉文化論の研究成果を報告をする。
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報告者●永山 誠 氏(昭和女子大学福祉社会学科)
テーマ:「地域福祉のもとでの“福祉文化”論」
日 時:2009年9月29日(火)17:00-18:30
場 所:東京都世田谷区太子堂1-7 昭和女子大学80年館2F 2L36教室
費用:無 料
事前予約不要。当日、自由にご参加ください。
問い合せ先◆
TEL 03-3411-6936(福祉社会学科教授室・永山)
TEL 03-3411-4260(永山ゼミ)
「福祉文化」理論研究集会の報告
日本福祉文化学会研究委員会は、2009年7月25日に第1回「福祉文化」理論研究集会を昭和女子大学(東京都世田谷区)で開催しました。研究集会には26名の参加。会員、実践現場、研究者、院生、および学生でした。
講師は一番ヶ瀬康子前会長と長期の共同研究を重ねてこられた長崎純心大学大学院教授・津曲祐次教授で「一番ヶ瀬康子『福祉文化論』考」と題し講演されました。
筆者のメモによりポイントを紹介します。
(1)「一番ヶ瀬理論の成立過程」を、朝日訴訟、サリドマイド事件、美濃部東京都政のシビルミニマム、スウェーデン等の福祉国家論との関わりから説明されました。
(2)一番ヶ瀬理論を生み出す社会的背景としての「既存の社会福祉学の成立基盤」を、19世紀経済学、富の源泉としての「労働」重視、未開→文明(資本主義→社会主義→?)という歴史の発展段階説、社会福祉制度(現金給付、現物給付中心主義)、対象者の管理方法の一律化等で説明され、その「既存の社会福祉学の構造」としては、労働経済学の一部、法律・制度・政策中心の知識で、教育方法では、見学・実習中心、利用者(人間)の心理、感性、生理等は講義中心になっている。
(3)これに対し「福祉文化(学)の特徴Ⅰ」として、ポスト資本主義の福祉学、小子高齢化と技術革新、多文化社会と地域文化、地域的発展の多様説、自己実現の支援、利用者主体の尊重等のキーワードで説明され、「福祉文化(学)の特徴Ⅱ」として福祉文化学を総合生活保障学として総括する視点に言及し、原理、歴史、制度、方法、人材養成、研究等の項目から説明されました。
以上の視点から一番ヶ瀬「福祉文化論」を整理したうえで、(4)「福祉文化学への私的戦略」という視点から今後の課題にふれ、ポスト労働経済学としての人間福祉学の形成、人間科学中心(心理学、生理学、教育学、文化学等を基盤に)、多文化社会と地域文化研究、福祉文化学から福祉文化士(仮)養成等の構想が披露され、論題を締め括られた。そして報告に合わせ、長崎純心大学で一番ヶ瀬記念文庫の設立、人間福祉関係資料・文献の蒐集が予定されるとのことで、注目されました。
報告全体として、一番ヶ瀬「福祉文化論」は、たんなる学派というものではなく、福祉文化あるいは人間文化の形成を求めた「開放系」の「学」であったといえます。日本福祉文化学会はこのような背景を持って実践現場の重視、共生の気風が少しづつ形成されたように思います。これらは、今後の学会の在り方を考える上で多くのヒントが得られるように思いました。
(文責:研究委員会担当理事 永山 誠)
福祉文化理論研究集会
と き 平成21年7月25日(土)正午~
ところ 昭和女子大学
テーマ 一番ヶ瀬康子先生の「福祉文化」論
報告者:津曲祐次先生(長崎純心大学教授)
【申し込み・問い合わせ先】
東京都世田谷区太子堂1-7 昭和女子大学
大学院生活機構研究科生活機構学専攻 教授
人間社会学部福祉社会学科 教授
博士(学術・福祉)
永 山 誠 NAGAYAMA Makoto
教授室TEL 03-3411-6936
教授室FAX 03-3411-6281
研究室TEL 03-3411-4260
e-mail:nagayama@swu.ac.jp
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