中国四国ブロック活動 (旧サイトの記録、2022年)

 

中国四国ブロック活動 2021年9月9日10:00~11:00

会場:岡山市南区当新田404-2 トコトコオフィス
参加者:杉山博昭、松原徹、名畑俊子

前理事の松原徹さんと杉山博昭理事とが、今後の中国四国ブロック活動について懇談の場を持ちました。
松原前理事からは、これまでのブロック活動の実績や課題についての説明がなされて、中国四国地域での学会活動の意義が語られました。
中国四国地域では、多様な福祉文化の実績があります。たとえば、石井十次による岡山孤児院の実践では、音楽幻灯隊の活動がありました。また活動写真によって、院内の様子が撮影されていたため、今でも映像によって状況を知ることが出来ます。こうしたことが、十分に継承されておらず、きちんと伝えていくことが大切です。
学会というと堅くなりがちですが、現場実践を重視した情報発信を目指していくことを確認しました。また、ブロック所属の会員とのコミュニケーションを深めて、コロナ禍において何ができるのか、考えていくこととしました。

中四国ブロック担当理事 杉山博昭

四国ブロック会員松原徹さんが長年取り組んでこられた活動が出版されました。

トコトコオフィスのみでの販売とのことですので、ご興味ある方はリンクからご確認下さい。

松原さんからの本の紹介
青少年、子どもの問題が社会問題になっている現代に役立つ本を作りたいとの一心で、7年間書き溜めてきた名畑先生と子どもたちの会話を、2020年度1年間をかけて保育士・名畑俊子、デザイナー上杉雅紀氏、ヴォイスクリエーター松原徹、そしてトコトコハウスの子ども達が取り組んだ本です。平成12年より非行、不登校、引きこもり等、青少年問題に音楽をからませることで改善・解決に努めてまいりました。そんな中、常に思っていたのが幼児教育の重要性。そこで平成22年に「子ども達の文化的教育スペース」を目指し、名畑先生とトコトコハウスをオープンさせ、今年で12年目を迎えています。
その間沢山の子ども達が学び卒業していきました。そして現在40数名の子ども達が通ってくれています。講座でよく耳にする「先生、言うたらいけんよ」という子どもの声。私は「言うたらいけんよ」を「これぞ子どもの本音」なんだなと思いながら聴いています。「こういうふうにとらえているのか」「え!?」と思いながら、これらを知ることこそ子ども教育にとっての肝ではないか?と思うようになったのです。しかし、それがわかっていても「言うたらいけんよ」という言葉を引き出すにはなかなかのテクニックが必要。この本を読んで名畑先生の子どもに向かう心構え、心を開かせるテクニックを垣間見ていただき、教育、子育てに役立てていただきたいと思っています。
是非、教育現場で活躍されている保育士、教員の皆様、そして現在子育て奮闘中の保護者の方々に読んでいただきたいと願っています。

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詳細へのリンクは以下からご確認ください。
http://tokotoko-office.com/202104031402/
http://tokotoko-office.com/202012111232/

 

松原徹、参加しました。

11月30日から12月1日、第30回日本福祉文化学会東海大会に大河原秀雄理事と名畑俊子事務局長とともに参加。
今年は名古屋・中京大学が会場です。居眠りついていた私と違い大河原くんは真面目にメモとっていました。反省です。
懇親会では大河原理事と二人で場違い?の「どうにもとまらない!」大好評でした!

大河原秀雄、参加しました。
11/30、12/1の二日間。いつもお世話になっている松原さん、そしてトコトコオフィスの名畑さんと共に日本福祉文化学会東海大会に参加。
全国各地の大学教授や各業界の先生達が社会の為に行なっている素晴らしい活動の数々。そんな活動を発表、講演されるこの学会はとても重要で価値あるプロジェクトだと思いました。参加できた事がとても有難いです。

 

第11回「歌で学ぼう岡山」開催

主催/特定非営利活動法人音楽の砦 後援/日本福祉文化学会

我々県民が気づいていない岡山県の素晴らしさを共に学び、郷土愛・誇りを深めたいとの思いで始めたこのイベントも11回目を数えました。
今回のテーマは「言葉の力」、言葉は文化です。ゲストはRSKアナウンサーの滝沢忠孝氏。滝沢アナウンサーには9年間RSKラジオの朝のコーナーでお世話になっています。私一人が味わうのはもったいないラジオでの15分間。いつかはそれを皆さんに見ていただき、言葉がもたらす福祉を感じていただきたいという思いがこの度実現できました。後半「松原徹ミニコンサート」では会場が一つになり楽しい2時間を満員の皆様と共有できたイベントになりました。

●「音楽の砦理事 佐藤アキラ」 お馴染み松原師匠のお手伝いをいたしました。セッティングスタッフ、音響からギタリスト、果てはカメラマン・・なんか器用貧乏みたいで、なんもかんもぼちぼちですがいつも使っていただいて感謝です。
メインゲストはRSKアナウンサーの滝沢さん。ラジオでいつもお声は聴いていましたが、いざお会いするともうほんとに素敵な方。お声も話し方も、人柄も素敵な上に講演がもう素晴らしい!飽きないし、聴きやすいし、楽しいし、ためになるし感動する!さすが、一流は凄い!日本語は「あい」から始まる。優しさとか、思いやりとか、愛情とか、思っている以上に深くて難しくて、日々頭を抱えていますが、松原さんを始め滝沢さんやヒデさん、素敵な方にお会いする機会には恵まれています。もっと勉強して、器の大きな大人の男になりたいなぁ、と思う今日この頃です。みなさん、いつもありがとうございます。
●「音楽の砦理事 大河原秀雄」
音響&演奏で全力サポートさせて頂きました!今回のテーマは「言葉の力」。RSKアナウンサーの滝沢忠孝さんをお招きしての充実の時間でした。笑顔が二割増しになる温かい講演。いやぁ聴けて良かった。役得でしたー。 そして松原徹先生のミニコンサート。最後は皆んなで大合唱!素敵な一日になりました!!
●「音楽の砦事務局長 名畑 俊子」
滝沢アナウンサーの講演会を聴いていて、10数年前の事を思い出しました。滝沢さんが松原さんをモデルに作ってくれた「松原徹の挑戦~もう一度やってみよう~」。その時のテーマも言葉の力でした。そして、私の最初の松原さんの印象、少しかすれた声の話し方が心地よく、人を引きつけるのだと心に残ったことを思い出します。また、10数年前、旭川の河原で滝沢さんのインタビューを受けた時も、最近ラジオに出演させて頂いた時も、緊張の余り、声のトーンがかわり、あの頃と少しも成長していない自分に気づき恥ずかしくなりました。今回、滝沢さんのお話を聴かせて頂き、声のトーン・テンポ・言い回し方・言葉の使い方等で人に与える印象の違いが出ることを感じることができました。その場面、場面で普通にできているプロの言葉を少しでも真似たいと思っています。

西日本豪雨災害から間もなく1年 岡山県倉敷市真備町訪問報告

 

 

 

 

中・四国ブロックと北陸ブロック交流(中・四国ブロック理事 松原 徹)


2018年7月に発生した西日本豪雨災害からもうすぐ1年。関連死を含め75名が亡くなられ、倉敷市真備町では、まだ多くの方々が仮設住宅などに移住されており完全復旧のめどはたっていないのが現状です。この度の災害は豪雨により河川が氾濫し、晴れの国岡山の各地で大きな爪痕を残しました。特に倉敷市真備町は小田川の氾濫により町の大半が水没。原因は、成羽ダムの放流により主流である高梁川の水量が増え、小田川からのスムーズな流れ込みができずバックウォーター現象が起こったことによるものとされていますが、様々な角度から検証がされ、今こそ官民が一体となって災害に対していかなければと、「災害はよそ事・・」と高を括っていた我々岡山県民に手痛い鞭が入ったのです。

今年になって早々に北陸ブロック渡邊豊さんより「ゴールデンウイークの5月4日に真備町に伺いたい」との連絡をいただきました。早速、現地で支援活動を続けられている伊原潔さんに連絡を取ったところ、快く了承していただき当日を迎えることができました。中・四国ブロックと北陸ブロックとの交流は2005年11月・新潟県中越地震の爪痕が残る日本福祉文化学会新潟大会に始まり、翌年2006年には岡山ロイヤルホテルで開催した「ボランティアNPOフォーラム」と2009年日本福祉文化学会中・四国大会の開催協力をいただきました。また2010年「新潟福祉文化を考える会」に私のオリジナル体操曲「みんな楽しく健康体操・パタカラ体操」の実演に伺うなど、備中松山藩・山田方谷と越後長岡藩・河合継之助が如く交流を重ねてきました。そしてこの度は渡邊さんの岡山の被災地訪問となったのです。

当日13時、岡山駅近くのホテル前にて合流し現地へ。そして被災者支援センターの伊原さんの説明を受けました。その最中にも、数名の被災者の方が立ち寄られ米、衣類、洗剤など生活必需品を求めていました。被災当時は180カ所あった支援所も今ではここを含めて3か所となり、こちらの支援所も今月26日で閉めるのだとか。コミュニティの構築、主体的に地域を担える被災者育成支援についての伊原さんの熱弁に終始納得。15年前新潟中越地震の復興・復旧支援に奔走された渡邊さんとの意見交換は有意義なものでした。その後、仮設住宅へ。普段から被災された方々と良いお付き合いをされている伊原さんのお陰で住宅の中まで入らせていただき生の声を聴かせていただくことができました。夕方は私のお馴染みの店で酒を交わし、1対1のブロック交流会は幕を閉じました。

社会福祉の実現は地域と地域、専門分野と専門分野などのコラボレーションにより成されるものと私は考えます。そしてそれを結びつけるのが文化。日本福祉文化学会はそれを現実にし、貢献できる学会であると私は考えます。

渡邊 豊会員の福祉文化日記より抜粋~(北陸ブロック 渡邊 豊)

5月4日8時頃に鳥取のホテルを発ち、一般道国道53号線で岡山を目指す。左を因美線が通る。岡山県との県境近くの集落で30分程休む。一般道は風景を楽しむことができ、たいへんよい。

12時に岡山駅前の東横インに着く。走行距離は135㎞。1時に日本福祉文化学会理事でNPO法人音楽の砦松原徹代表と待ち合わせ、松原理事の車で倉敷市の真備町へ、災害対策・被災者支援岡山県連絡会・日本共産党被災者支援センター合同事務所伊原潔事務局長を訪ねる。支援センターは、災害直後に議員団が立ち上げ、伊原事務局長が中心となり、ボランティアとして運営を続けている。

「岡山は「晴れの国」と呼ばれ、まさか災害が起きるとは思わなかった。」は、松原理事、伊原局長から共通に出てきた言葉である。
2か月後に被災から1年となる。災害支援団体は多い時期は180団体が活動していたが、現在は支援センターとキリスト教の団体が支援をしている。支援センターは、被災者にとってなくてはならない存在である。被災者から求められることを聞き出すことに徹し、聞き出したことは議員に伝え実現させてきた。私が支援センターに滞在した1時間半の間に10名位の被災者が訪ねて来られ、伊原局長の側から笑顔で迎え話しかけ、時間を気にせず落ち着いて今の状況を聴いたりしていた。支援センターにストックしている衣服、トイレットペーパー、洗剤、日用品、米などの支援物資を、必要な被災者に無料で渡している。衣類は、透明のプラスチック衣装ケースにたたんで入れて、種類別に並べている。支援物資を大切に扱い、被災者が選びやすいようにして、配慮が行き届いている。

大型地図に河川の決壊箇所や仮設住宅団地が明示されていて、伊原局長に仮設住宅団地の視察を希望したところ、6か所あるうちの「トレーラーハウス仮設住宅団地」と「木造仮設住宅団地」を車で案内していただいた。途中、まだ被災当時のままの家屋を見かけることもあった。柳井原地区のトレーラーハウス仮設住宅団地を訪ねる。ちょうど散歩中の80代と思われる男性高齢者と会い、話を伺うことができた。「行政から布団と炊飯器が支給されたのが2週間後で、それまで待てずに買ってしまった。行政から支給された炊飯器は袋を被ったままだ。」「トレーラーハウスは長細く、真ん中が通路になっている。シャワーで浴槽がない。」「天災なので、何でもしかたないと思っている。」「仕事をしている頃から水害保険に入っていたので、保険で家を建てることができるが、保険に入っていない人は、たいへんだろう。」「被害を受けた土地に家を建てるが、子どもは住みたくないと言っている。別々に住むことになるので、前の2階建てから平屋にした。もうすぐ家ができます。」
岡田小学校の近くにある木造型仮設住宅団地では、支援センターを訪ねることがあり、伊原局長と関係ができている70代と思われる高齢夫妻世帯の住宅を見学させていただいた。玄関とキッチンルームが一緒になっており、両側に4畳半ほどの部屋があり、夫婦それぞれに使っている。ユニットバスが狭く、夫は、車で入浴施設に通っている。夫婦は、被災した土地の境界にする構造物のことで隣の人と話がうまくまとまらずにいることを繰り返し話されていた。妻が言った「早く家に戻って畑仕事ができればいいね。」の一言が強く印象に残った。

仮設住宅のうち、みなし仮設住宅が約3700世帯分、仮設住宅が約300世帯分用意された。阪神淡路大震災の際の仮設住宅入居方式はくじによる抽選入居であった。それ以降の災害では、地区(町内会、集落等)単位で入居し、コミュニティの維持を図ることをねらっているが、真備町の場合は抽選方式で、しかもほとんどがみなし仮設住宅である。伊原局長によると、抽選による入居であっても、コミュニティが成立している仮設住宅団地は1地区あるということだった。仮設住宅と、一般住宅地の中の既存のアパートを利用するため点在することになるみなし仮設住宅とでは、行政等から被災者への情報提供の格差、各種サービス提供の格差が生まれる。

伊原局長は、被災により、今まで医療費や水道料金などの公共料金が無料であったが、今後は通常通り有料となるので、被災者の経済的な負担が増えることを心配されていた。
また、鳥取や岡山を車で走っていて、新潟からはるか離れた地に、新潟に本社のあるコメリホームセンターを見かけるたびに嬉しかった。真備町にもコメリホームセンターがあったので、本社が新潟であることを伊原局長、松原理事に話すと、驚いておられた。コメリホームセンターには、被災者に必要な日用品や作業用具が揃っており、災害発生後、すぐに再開して助かったと、伊原局長から伺った。
5月26日に支援センター主催の被災者の交流会があり、お寿司を作ると伺った。シャリにしてもらうため、新潟の自田で収穫したコシヒカリを送ることにした。

松原理事の車でホテルに戻り、ホテルの近くにあり、松原理事の自宅の近くでもある奉還町(歴史的な町で、大政奉還の「奉還」です。)にある瀬戸内料理飛鳥に入る。松原理事行きつけの店である。岡山の美味しい海の幸や地酒、そしてうどんをご馳走になりながら、NPO法人音楽の砦の活動、日本福祉文化学会の岡山での活動、松原理事ご自身のボイストレーナーとしての県内各地での高齢者や子ども向けの活動、各種団体から依頼のある作曲活動、毎週木曜朝、地元ラジオ局に生放送出演していること、そして、今後の仕事のビジョンなどについて話を伺った。
松原理事と別れ、岡山駅の土産コーナーで吉備団子などを買い、ホテルに帰った。

 

第7回「歌で学ぼう岡山」報告   松原徹

7月31日(日)第7回「歌で学ぼう岡山」を岡山シティミュージアムで101人(満員)のお客様を前に開催した。10時開場・10時半開演。
いただいたご祝辞、日本福祉文化学会・渡邊理事よりのお言葉を読み、初の新潟とのコラボ企画「掘るまいか~手掘り中山隧道の記録」の上映。
この映画は、豪雪の山村・新潟県山古志村。つるはし一つでトンネル堀りに立ち向かった村人たちの16年に及ぶ精神とエネルギーの記録。
助成金、NPOや有志のボランティアスタッフ、メディアによるバックアップなど様々な好条件が揃っている現代とは違い、無償の上に、生きるための仕事を犠牲にしなければならないという当時の福祉事業参加に対する様々な葛藤。賛成派・反対派、真っ二つに分かれた双方の言い分にうなずいてしまう。
私はそのプロセス・結末に、福祉の持つ永遠の課題を感じた。そして何より心を打ったのは当時、若者として参加した現在の人々の表情だ。何かをやり遂げた人の顔はどんな言葉よりも我々に福祉の心を教えてくれる。
上映終了後、大きな拍手が起こった。この「瞬間の思い」を引き出したいがための今回の企画は大成功だった。
11月20日には総集編「歌で学ぼう岡山ESD」を開催する。
今回のような他県とのコラボレーション企画は、想像以上の反響がある。
これからも新潟の皆さんをはじめ素晴らしい活動をされている方々と切磋琢磨することにより、社会に貢献できる団体・人間として共に進化していきたい。

当日会場の様子

 

中山隧道の入り口と内部の様子

 

第7回「歌で学ぼう岡山」開催

今回のテーマは「新潟に学ぶ福祉の心」。
10年ほど前、新潟で行われた日本福祉文化学会全国大会で観た映画「掘るまいか:手掘り中山隧道の記録」。
「地域のためにトンネルを掘るべき」「生活のための仕事を犠牲にしてまで掘るべきではない」という論争に始まり紆余曲折、最後は感動の貫通。
そのプロセスは現代社会に生きる我々に「福祉とは?」の答えを教えてくれ、貴重なメッセージを残してくれている。
もっとも災害の少ない岡山県だからこそ、より福祉について考えられる新潟県との初コラボレーション企画。
そして後半のヴォイトレ&ミニコンサートは楽しく、今回のイベントの趣旨がより心に残るためのスパイスとしたい。
日時:7月31日(日) 10時開場、10時30分開演、
場所:岡山シティーミュージアム4階講義室
参加費 1000円
定員 100名
お問い合わせ:特定非営利活動法人音楽の砦 TEL086-250-6590/FAX 086-250-6591

第6回「歌で学ぼう岡山」開催レポート

中・四国ブロック 松原 徹

9月12日、第6回「歌で学ぼう岡山」を岡山シティーミュージアム4階・講義室にて、主催 NPO法人音楽の砦、後援 日本福祉文化学会により、120名のお客様と共に開催した。

この「歌で学ぼう」シリーズは、第1回「歌で学ぼう山田方谷」にはじまり、岡山人が、改めて岡山を学び、知ることで、夢と希望溢れる「おかやま」の明日に役立ちたいとの思いから始めたものだ。

今年は戦後70年の節目の年でもあり、安全保障に関わる話題が多い年。こんな年だからこそ、ムードに流されるのではなく、自分自身の考えをしっかり持った言動が重要ではないか。何をするにしてもまずは知る事から・・、ということで、今回は、医療法人〈天馬会〉チクバ外科・胃腸科・肛門科医院会長・竹馬浩先生をお迎えして「70年前の岡山あれこれ~岡山空襲体験談など~」をテーマに、ご講演をいただいた。これは奥様の竹馬清枝さんが監事として「音楽の砦」発足当時より応援していただいてる関係により実現できたもの。医療人として数え切れないほどの実績を残され、81才の現在も、現役として活躍されている先生の志の基礎である少年期の戦争体験を解りやすく、思いを込めた温かい言葉で伝えていただき、ある世代の方は、思い出して、共感され、ある世代の方は、新しい知識として学ぶことができ、様々な情報が行き交う現代の幸福の指針になる一時をいただいた。

そして第2部は、松原徹・歌唱指導&ミニコンサート。オリジナル曲「おかあちゃんの歌」を皆さんに勉強していただき、「わいわいワクワク表町」「大好き岡山晴れの国」山田方谷テーマ曲「至誠惻怛わが一天」「つる(方谷の生涯)」など、今まで関わったオリジナル地域ソングを聴いていただき、歌っていただいた。

何をするにも健康第一。そして真の幸福な世の中である事。幸福あふれる岡山であれば、我々一人ひとりが幸福のお裾分けを必ずいただけるはず。今後「歌で学ぼう」シリーズを定期的に内容を変えながら、岡山県内で開催していきたい。

「歌で学ぼう岡山」

岡山人の知らない岡山、まだまだたくさんあります。そんな岡山をみんなで学び、歌っていこうと始めた
「歌で学ぼう」シリーズは、早いもので第6回、今回も素晴らしいゲストをお迎えし今回より、後援・日本福祉文化学会にて開催します。

日時 9月12日(土)開場10:00 開演10:30
会場 岡山シティーミュージアム4F
定員 100名
参加費 1,000円

第1部/講演
竹馬 浩先生 テーマ「70年前の岡山あれこれ~岡山空襲体験談など~」
第2部/演奏
松原徹コンサート

「岡山方谷まつり2015」開催報告

「岡山方谷まつり2015」が、平成27年6月7日(日)会場イオンモール岡山5階「おかやま未来ホール」にて、「岡山の偉人・山田方谷の学びと育みの実践例をもとに、岡山にて政官財会の代表者に教育を論じていただくことにより、現代日本の課題である教育から始まる地方再生策をさぐる。その結果として、産業振興、さらには日本創生の一助となる指針を提言したい。(方谷さんを広める会:藤井義和氏より)」をテーマに開催された。私は、NPO法人音楽の砦理事長・日本福祉文化学会中・四国担当理事として実行委員となりイベント部門を担当、オープニング及び交流会で公認テーマソングなどを演奏した。結果、キャパ600人の会場は常時満員、大盛況のうちに終了。このご縁により伊勢志摩サミット関連の教育相会合開催地が岡山県倉敷市決定した。
「青少年に対する・・」、「地域活性化に対する・・」、「高齢者に対する・・」、「障害者に対する・・」・・と福祉活動をカテゴリーに分けてしまいがちな現代において、真の社会福祉実現のためには1団体、1個人が頑張り続けるのではなく、さまざまな団体・個人とネットワークを作り、福祉の渦を作ることこそ肝心。そして文化は思想・宗教を越えて最良のネットワークを作るジョイントになれる。手前味噌ではあるが、山田方谷を広めるために、学問的観点からのみ進めてきた時期に比べて、テーマ曲という文化のスパイスが加えられた今、活動は加速しているように思える。正直今回のイベントにおいて反省すべき所は多々あり、ビッグイベントを倉敷に呼び寄せたことも、良い事なのか悪い事なのか、今はわからない。それは今後の活動により結論が出るだろう。私はこれからも日本福祉文化学会理事として、文化の力を活かした社会福祉活動を行っていき、福祉文化の渦を作っていきたいと思っている。

プログラム
●オープニング方谷さんを広める会公認テーマソング演奏歌と演奏
松原 徹とザ ブルーエレファント他
1 至誠惻怛わが一天:作詞 尾崎帆論 作曲 松原 徹
2 つる(方谷の生涯):作詞 作曲 松原徹

●基調講演 文部科学大臣 下村博文氏

●シンポジウム「山田方谷の想いをかたちに」
パネリスト:下村博文文部科学大臣、逢沢一郎衆議院議員、野島透山田方谷六代目子孫、伊原木岡山県知事、近藤高梁市長、宮長雅人中国銀行頭取、小野晋也元文部科学副大臣

日本福祉文化学会 第12回 中国・四国ブロック大会について

大会テーマ
「人と人のつながりから生まれる福祉文化の創造」
―しょうがいを持つ人の生活の場における実践活動―

大会趣旨
福祉は支援を求める人と提供する人という関係だけではなく、一人ひとりの人との関係性から創造されるものも多くあります。すべての人々が、地域で共に暮らすことから、お互いが一人ひとりを分かり合い尊重され、人と人との関係が育まれます。このようにして創造された一つの福祉実践が、その地域に普遍的に広がることで、地域の福祉文化として根付いていくことが期待されます。
今回の大会では、当事者のもつ力を十分に発揮し、一人ひとりが活き活きと自立して豊かに生きるための福祉の創造を目指して、住民と「共生」する地域において、当事者の生活に密着した支援の「現場」から福祉の実践活動を学び、改めて福祉文化について考えていきたいと思います。

日時:2011年1月23日(日) 9:30~16:00
会場:徳島文理大学 徳島キャンパス
主催:日本福祉文化学会中国・四国ブロック
プログラム
基調講演:テーマ「しょうがいを持つ人たちへの新たな取り組みの理念と評価
-ADLからQOL,cure・careからcreation,paternalismからempowerment-」
徳島文理大学保健福祉学部理学療法学科長 小嶋裕先生
分科会:第1分科会 「しょうがいを持つ人の働くことを考える」
第2分科会 「しょうがいを持つ人の生活と暮らしを考える」
自由研究発表:ポスターセッション
参加費:一般・会員 1000円(事前申込)、1500円(当日参加)
学生 無料(当日受付にて学生証をご提示ください)
アテンダント(介助者) 無料
参加申し込み先:郵便局の払込取扱票(青い枠線)により、参加費を振り込んでください。
口座記号番号:01640-8-45088
加入者名:日本福祉文化学会第12回中国四国大会
備考欄に氏名、参加者の種別(学生・会員・一般)をお書きください。
しょうがいのある方で、当日アテンダントのボランティアを希望される方は、
しょうがい の種別と「アテンダント希望」とお書きください。
参加申し込み締め切り:2011年1月10日
自由研究発表の応募:往復はがき裏面に、演題名・所属・氏名を記載して、
事務局まで申し込んでください。
研究発表応募締め切り:2010年12月15日
事務局(問い合わせ先):徳島文理大学 保健福祉学部看護学科 川田美由紀
TEL:088-602-8154(直通)
e-mail:mikawata@tokushima.bunri-u.ac.jp

第11回中国・四国ブロック大会報告

日本福祉文化学会第11回中国・四国ブロック大会

『住民の手で作り上げる福祉の文化』
とき 平成21年12月6日(日)
午前10時~午後3時30分
ところ 宇多津町保健センター4階
(宇多津町役場東隣)
内容 基調講演「福祉文化とは」
立教大学 教授 河東田博 氏

第1分科会 講演「子どもの発達と福祉文化」
講師 東京おもちゃ美術館 館長 多田千尋 氏
第2分科会 シンポジウム「住民の手で作り上げる福祉の文化」
コーディネーター 宇多津町社会福祉協議会 事務局長 高瀬誠 氏
シンポジスト    平山健康クラブ 柴村 喜子 氏
NPO法人メロディー 野村英司氏
台田 真由美氏、豊田紘美氏
ナイスサポートらく楽 本西 志保氏

*詳細チラシ画像 表/裏

 

中四国大会2008開催報告(松原徹理事 渡邊豊事務局長)

日本福祉文化学会中・四国大会開催。テーマは「スポーツ・音楽・福祉文化」
日本福祉文化学会 理事 松原 徹

 2008年12月7日、岡山市立妹尾小学校体育館において開催されました。オープニングをつとめたのは地元の小・中学生による伝統芸能「開山太鼓」。この日は特に寒い日で、岡山県北では積雪もあったほどでした。学校の体育館の寒さは身にしみたにもかかわらず、元気いっぱいの演奏を聞かせてくれました。引き続き日本福祉文化学会の大会らしくパネルディスカッションが行われました。パネラーを「家庭でできるツボ療法について」の吉田功氏、「地元妹尾で音楽と映像による街づくりを推進」の原田肇氏、「障害者との伴走と伴奏からもらっている元気」の佐伯典彦氏の3名に、そしてコーディネーターを私の恩師である済生会看護学校副校長の新田幸子氏に勤めていただき、大変有意義な時間が過ごせました。そして今売り出し中の「みんなで楽しく健康体操、パタカラ体操」の実地指導が、体操の作者でもあり岡山市ふれあい公社の体育指導員でもある安保真一氏によって行われました。専門的な説明を受けながら行うパタカラ体操に作詞・作曲者である私もこの体操の奥深さを感じたほどでした。そして、いよいよ中日ドラゴンズ川相昌弘コーチの登場です。妹尾中学校野球部に対して川相コーチが指導するという設定で行われました。直接指導を受ける中学生だけでなく、見物の我らオヤジ連中も一緒になって身体を動かしてしまうほどの白熱した指導でした。最後は音楽の砦・事務局川相五十美氏の司会により、私と川相コーチの対談を行いました。ジャイアンツに入団当時の川相氏の苦労話を聞きながら、自分の役割を一生懸命果たす努力をすることの重要性を、特に子供達に伝えられたらと頑張ってみました。それから川相氏を交えて「千の風になって」の歌唱指導を私が行ない、会場全員の大合唱で閉会したのでした。反省点は沢山ありますが、地元の人たちを巻き込み、手作りの会場で行うことができた今、大会は大成功であったと確信しています。

日本福祉文化学会中国四国大会を終えて                                   日本福祉文化学会 事務局長 渡邊 豊

 実行委員、スタッフのみなさん、たいへんお疲れ様でした!大会前夜、会場となる妹尾小学校体育館のシート敷き、イス並べなどの設営準備、資料詰めから参加させていただきましたが、みなさんのチームワークは本当に素晴らしかったですね!
音楽の砦のメンバーを中心に地元の方々の全面的な協力、本番に至るまで多くの会議を重ねての準備があったからこそ、このたびの企画が大成功を収めたのだと思います。川相事務局長の円滑な全体統括、補佐役を務めた名畑さん、プロ顔負けの川相さんの司会…と、改めてNPOとしての音楽の砦の能力の高さに感心する場にもなりました。企画については「音楽、スポーツと福祉文化」というユニークな切り口で、単なる座学ではないアクティブな内容で、小学生から高齢者まで参加があり、まさに日本福祉文化学会の大会に相応しいものであったと思います。松原代表が理事に就任して初の大仕事、たいへんお疲れ様でした。
今年2009年、音楽の砦は結成10周年を迎えますね。これからも益々のご発展を期待しています。(祝賀会には、私の地元新潟の銘酒をお贈りしますので、お楽しみに!)最後に、大会前日には、土屋前理事から様々な岡山の福祉文化遺産を案内していただきました。たいへんありがとうございました。

中四国大会2008案内(2008年12月7日)

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開催チラシ

第9回中・四国ブロック大会案内(2007年12月9日)

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第4回中国四国ブロック大会(山陰大会)の報告

第4回中国四国ブロック大会(山陰大会)の報告

大会テーマ 「変わることと 根づくこと」
2003年3月15日(土)、16日(日)の2日間、日本福祉文化学会中四国大会を、梅のつぼみのほころびかけた島根県広瀬町、島根総合福祉専門学校で開催した。
大会テーマ「変わることと根づくこと」に、福祉実践は人々の暮らしに根づき、暮らしを変え、豊かな文化を育むものという思いを込め、山陰各地の福祉実践を題材に研究交流を行った。

【3月15日(土)】
記念公演 劇団たいよう『あの日の授業』
山陰で唯一、全国的にも珍しい知的障害者の劇団「たいよう」の『あの日の授業』を観劇した。戦時中、多数の教え子を戦地に送り出し死なせてしまったことを悔いる元教師が、当時を回想しながら戦争の罪悪、平和と命の尊さを訴えた作品。
多くの観劇者は、そのストーリー以上に演者の持つ圧倒的な魅力に心を奪われた。これまで多くの作品を社会に向け発信してきた「たいよう」だが、なぜ彼らの芝居が人々の心を奪うのかについて明確な答えを見ていない。ただ、一人ひとりの役者がそれぞれに個性的で、それは生きることにひたむきな彼らの姿勢から生まれてくるものだという気がする。
打算のない真摯な姿を見て感動を覚えない人はいないように思うが、それは、障害者であるのにこんなにも頑張っているといった感傷的な観劇感を超えたところにある感動だった。

【3月16日(日)】
基調講演「福祉の文化化と文化の福祉化」
日本福祉文化学会会長  一番ヶ瀬 康子
1987年に制定された『社会福祉士及び介護福祉士法』は、それまで、やりたい人がパートで雑用をしていたような日本の介護のあり方への批判、ご飯と薬をおつゆで流しこんでいる日本の介護の現状に対し、①人権としての福祉、②介護の基盤としての家政と生活、③介助のありかた、④看護、とくに救急看護の4点を主張する中で制定された。
一方、法制後現在の福祉教育では、国家試験にない生活問題、社会問題、歴史を教科目からはずすなど、福祉や人間の生活理解に欠かすことのできない部分が排除される傾向があり、福祉の心、知識ではない創造的な分野を残してゆく必要を感じている。
今日は「福祉文化」命名の元になった体験を紹介し、改めて福祉について考えたい。  私の教え子(ピアニスト)の母親が施設に入所したのを機に、その施設でリサイタルを開いた。それを続けるうちに、毎年このリサイタルには学生やボランティアが参加するようになり、やがて入所者同士のバンドが結成された。活動を続ける中で、自傷のあったメンバーは治り、職員は「老人の目が輝いて背筋が伸び、食事が残らず、睡眠薬も減った」と言う。私はこういうものが「福祉の文化化」だと考えている。
また、『ゆきわりそう』というNPO法人は、「福祉事務所で手を焼いている人をここに」という事業を始めた。声も出ない、曲にもならない人たちが第九の合唱を通して自己表現、自己実現をし、あるお母さんは、「くる日もくる日もドイツ語で歌っていて、いったいどうなることかと思っていたら、日本語が上手になって、鬱も治りました」と述べた。このような実践を私は「文化の福祉化」だと感じている。
知識だけでない福祉の実現、一人ひとりの自己実現を可能にしようということで、住民参加、共生の原則、男女共同参画、福祉文化の創造という4つの原則でこのような実践は支えられてきたのだと感じている。

記念講演『地域の中に「当事者主体」の風を吹かせよう』
ピア・カウンセラー、自立生活センター・松江代表 中村 宏子
12~13歳のころ、障害者の初心者だった私は、多くの先輩障害者と交流する中で、体が不自由で動けないからだめ、あきらめないと仕方がないという人生放棄の立場から脱皮できた。障害があるのだから仕方ないという感覚が、まだまだ日本にははびこっているのである。
1980年代、ノーマライゼーション、完全参加と平等という言葉がはやったが、定着はしなかった。マスメディアは「こんな障害があるのに、こんなことができる」という取り上げ方だった。やがて自治体で障害者プランを策定し、ノーマライゼーション理念がかかげられた。本当に実現する気ならどんな場所でも障害者が生活できるような基盤整備がなされるべきだが、現実はこのセンターでなければとか、この手続きでしかできないと限られている。
しかし、今ではどんな障害の人でも地域に出られる風が吹いてきた。カリフォルニアのバークレーでは、脊髄障害のため呼吸補助具で生活していた大学生が、彼自身の学生生活を24時間×365日自分のペースでしようと、サポーターをつくり、誰にどのケアを頼むかマネージメントして学生生活をクリアした例もある。
面白い日も、憂鬱な日もあるのが生活。医者や福祉の専門家だけが関わってする福祉でなく、当事者がどうしたいか考えてサポートを求める。それが自然にできる人間関係が70年代のアメリカで進み、日本でもようやく80年代から進んできた。当事者の願いをサポーターに伝えて生活していくのが自立生活センターの取り組みである。
去年9月から松江市内で自立生活センターを開き、11月から介護保険センターを開設した。いろいろな障害者の方の相談を受け、当事者の本当の願いを聞いて方向を見つけ出すように接している。できることとできないことを自分でよく整理し、できないことを人に伝える力を持ち、自分で動けるところは動きながら希望を伝え、協力をお願いしようというのがいまの到達点だ。どんな障害があっても、この地域で暮らせるように、当事者が主体的に支援と生活と自立を結びつけられるように、自立支援センターの仕事を続けていきたいと思っている。

第1分科会「当事者の声」 報告 西岡 正義
この分科会では3本の報告があった。
1. 『地域での暮らし~生活・労働・余暇・劇団活動』 知的障害者援護施設仁万の里   山本 慶一 氏 高梨 慎一 氏
2. 『ピア・サポート体制づくりのソーシャルアクション』 社会福祉法人ふらっと 小規模授産施設ピー・ター・パン  山田 和明 氏
3. 『日々の生活の中で』  地域生活支援センター ふぁっと 大国 哲司 氏
「仁万の里」での報告では、前夜の演劇の演者からの、演劇活動を通した施設生活の状況や、「できれば自分も結婚したいです」との率直な意見を聞くことができた。人間として当たり前の生活保障の重要さを考えることができた。「ふらっと」からは、「環境が整っていないなら、自分たちで創ろう」いう雑談から設立された施設での取り組みについての報告があった。障害をもつ仲間たちの働く場の創設や自立生活支援の実践の様子から、障害を持った方自らが実践家となって活動することの意義について教えられた。「ふぁっと」からは、精神の病を克服しながら働いている報告者自身の社会復帰への過程について語っていただけた。「当事者」の方々に現在の暮らしについての声を聞かせていただき、今の福祉の現状、今後私たちが取り組むべき課題について考えることができた。

第2分科会『生活者の権利をどう守るのか』 報告 西 高広
生活者である私たちの権利はどのように守られているのか、権利擁護の考え方や実践について、3人の方から次のような概要の報告があった。
1. 『子どもたちの権利を守るために・児童福祉の現場から・』 島根県中央児童相談所  栂 矗 氏
2. 『倫理綱領・職員行動規範「さくらさくら」づくりの取り組み』 社会福祉法人さくらの家   渡辺 健史 氏
3. 『成年後見と財産管理』 出雲成年後見センター  錦織 正二 弁護士
島根県中央児童相談所からは、児童虐待に関する相談件数の推移や潜在化している問題の掘り起こしの必要性、また児童虐待防止および児童福祉施設における権利擁護の取り組みについての活動内容の報告をいただいた。「さくらの家」からは、デイサービスセンターにおける職員倫理綱領の策定が職員の人権意識を変化させていった過程、制定後の自己チェックや利用者へのアンケートの実施より、第三者による「さくらの家オンブズマン」設置へと結びついた活動報告を通し、利用者権利擁護について施設側から取り組みをされた例をご紹介いただいた。「出雲成年後見センター」からは、社会福祉基礎構造改革の動向についてのお話から、福祉の契約化に伴うサービス利用者の権利擁護システム構築の必要性、また後見センター設立の今日的意義や活動内容についての報告をいただいた。

第3分科会『実践から制度へ』 報告 三原 玲子
1. 『住み慣れた家や地域で暮らし続けるために』 社会福祉法人ことぶき福祉会 槻谷 和夫 氏
2. 『米子笑い通り「ぷらちなさるーん田園プロジェクト」について』 社会福祉法人地域で暮らす会 井上 徹 氏
3. 『すてっぷの活動について』 NPO法人すてっぷ  光岡 芳晶 氏
「住み慣れた地域で、普通の暮らしがしたい」という誰もが持つ願いの実現に向けた三つの実践例を通して、人々のニーズが制度へと結びつく過程について話し合った。
1例目は、市街地に小規模多機能型施設を開設し、一人ひとりに適した生活リズム、環境を提供し、生活者の「安心」や「信頼」を創りだした高齢者施設の事例。2例目は人口のドーナツ化現象に対し、市の中心地に散在する空き店舗を利用して要介護老人から元気老人まで誰でも利用でき、医療環境も整えた新しいコミュニティーの創造を市商工会とタイアップし住民参加活動にまで高めようとする事例。
3例目は山陰初の自立生活センター設立からはじまり、ピアカウンセリングの考え方によって障害者本人の主体的活動を展開し、七つの事業所を運営するに至った事例。以上の事例から、当事者のニーズに即し、自己決定・自己実現を最も重視した多機能な取り組みを展開することで生まれる当事者の生活実感が、制度そのものを変えてゆく力になることを確認した。

【日本福祉文化学会中四国ブロック山陰大会に参加して】
島根総合福祉専門学校1年  柳楽 盛一 参加者の声
今回の大会には、大会2日目に参加しましたが、記念講演での中村宏子さんのお話が最も印象に残りました。
日常生活のほとんどのことを他人の力を借りなければ生活できない身体状況にありながら、1人で部屋を借り、制度を活用しながら生活をし、その上に自立を希望している他の障害者のサポートをしておられるということに対し、何よりもそのエネルギー、勇気、行動力に驚かされました。
「障害者が自己主張し要求することは、常識をはずれた行動と世間からはとられることが多い」という言葉がありました。私自身も講演を聞くまでは重度の障害を持つ方が1人暮らしができる方法、制度があることについては何となく聞いたことがあるといった程度の認識でしたし、失礼ながら生活の場というのは自宅、あるいは施設の中で限られた自由の中で暮らしていかざるを得ないだろうと思っていました。
これは、考えてみると「これまで封建的な風土であるこの地域では、差別構造から脱せず結果的に障害者は地域から隔離される傾向があった」と話されたように、何か特別な機会でもない限り健常者が障害者と接点を持つこともなく、また情報も流れにくく、流れていても関心を持たない社会となり、私もそうした社会の構成員であったと思います。
最近になって地域では、健常者も障害者も分け隔てなく利用でき、交流が持てるいろいろなお店ができつつあり、マスコミでも障害者の情報を取り上げる機会が増え、少しずつですが以前と比べて社会が変わってきていると感じます。
やはり人が生きてゆくということは、健常者、障害者は関係なく、人と人とが関わりあうことであり、その世界が広がれば広がるほど吸収するエネルギー、生きがいも増えるものだと思います。  障害を持つ人が普通に暮らせるように、変に力を入れることもなく自然な形で健常者、障害者が支え合う社会づくりにむけて、私自身も参加していければと思います。

 

第5回中国四国ブロック大会(香川大会)の報告

第5回中国四国ブロック大会報告 実行委員長 和泉 とみ代

だれもが生きがいのある人生を送れるような福祉文化の創造を

2003年3月7日(日)、瀬戸内の海と島々を一望できる香川短期大学(香川県綾歌郡宇多津町)において、日本福祉文化学会第5回中国四国ブロック大会が開催された。
今回の大会は、しょうがいをもつ当事者や育児中の母親によって担われ、また、はじめて託児室も設けられ、だれもが生きがいのある人生を送れるような福祉文化を創造するための礎となる大会となった。

基調講演テーマ『しょうがいをもつ本人が主体となる福祉文化創造のために』
講師 立教大学コミュニティ 福祉学部 河東田 博

報告・原渕 陽一

福祉文化とはなにか。従来の取り組みは施設中心でなされてきた。これからの福祉文化は、いろいろなものを包み込んで個が大切にされる取り組みがなされなければならない。数えられないくらい豊かなものを作り出していく、それが当たり前の暮らしであり、人間らしい生活である。個が大切にされ、一人ひとりの夢や希望を紡ぐ、創造性豊かな、地域で続けられている、実践的で、ヒューマンな幸せづくりである。そして「福祉文化活動」とは、「重いしょうがいを持っていようが、痴呆であろうが、老いも、若きも、外国人も、地域における普通の暮らしを、さまざまなネットワークを利用した支え合いによって保障していく取り組み」である。
ノーマライゼーションと自己決定が望まれるようになった。ノーマライゼーションの原理(ニィリエ、1969)とは、1日、1週間、1年間の普通のリズム、生涯を通して必要な経験・成長・発達を持つ必要があること。本人の思い・願いを尊重する(自己決定権)を持つこと。男女がともに暮らしていくということ。お金・住宅・仕事が得られることである。自己決定とは、「自分自身の問題を自分の価値観に基づいて自分で決定すること」である。自己決定は、環境に大きく影響を与え、また与えられている。本当に自己決定は、我々の文化の中で達成されているのだろうか、問い返してみる必要性がある。残念ながらノーマライゼーションの原理に照らし合わせると、あてはまらない法制度が現存する。まだ我が国では、ノーマライゼーションの理念は、達成されていないと断言できる。どんなに新しい施設、立派な施設でも我々の生活とはかけ離れている。
福祉の現場に自己決定を可能にする環境はあるのか。日本の組織構造は、階層型の現場構造によるものである。当事者は、その底辺に置かれてしまっている。また、我々の持つ専門性が邪魔になってしまうことがある。専門的に教育を受けてきて、その教育観の中で学んだものを当事者に当てはめてしまう危険性がある。
自己決定を支援していくには、関係性を見直し、相手の立場に立ってものを考えてみること、相手に寄り添って、折り合いをつけてみることである。
本人による本人のためのグループ活動、自分たちのことを自分たちで決めていく場が「本人活動」である。多くの人たちが集うことによって弱点を克服していこうとしている。自己決定の取り組みの中で、一人ひとりが、自分に自信をもっていく、仲間たちを理解していく、ともに支えあい社会との関係を見つめながら話し合っていくこと、権利や自立のために社会に働きかけることも大切なことである。
本人たちの会であるから、決定権は本人たちにある。支援者は、本人によって選ばれ、役割も本人によって決められる。つまり支援者は、決定権を持ってはならない。また、知り得た情報を漏らしてはならない。日常的に生活の支援をおこなっている人は、支援者として好ましくない。
持った夢は、必ず実現される。夢を持ってもらいたい。どうしたらその夢を実現できるのか。第一歩を踏み出してもらいたい。夢は、確実に実現されはじめている。
本人主体の福祉文化創造のために認識しておきたいこと。ニィリエによると「自己決定が尊重されなければ、存在しないも同然である」。特に「自己決定が知的しょうがいをもつ人々に尊重されないなら、他の多くの人々に対しても尊重されることはない」。このことを肝に銘じてもらいたい。そのためには、本人がもっと強くなれること(本人活動)を地域の中で作り出していくことである。その結果、生活の質も高まってくるであろう。
生活の質を高めるとは、あたりまえの生活環境を用意すること、そして社会資源をうまく使えるようにしていくこと、個別支援がなされること、本人のやる気やまわりの理解があってはじめてなしとげられる。
本人が、主体となれるような福祉文化をつくっていただきたい。本人が生き生きとして前に向かって歩んでいけるような、そして私たちと共に生きていけるような社会をつくっていくきっかけになって欲しい。

分科会報告 第1分科会 『当事者活動』 報告・桑折 美香

第一分科会では、当事者活動について話し合われた。「ふぁいと」の近行ひろみさん、「因島であいの会」の松浦照美さん、「徳島ともの会」の西川三恵さん、3人の発表者からそれぞれの活動報告がされた。
近行さんからは、「しょうがいをもつわが子とともに歩んだ道」について、しのぶさんと過ごされてきた日々についての話があった。親も子もそれぞれの生き方やしたいことがあると考えて、レスパイトサービスを利用することで、親も子も自分の時間を大切にしていることを話されていた。松浦さんは、であいの会で行われている活動について話された。会長の役割をしてきたことやメンバーと一緒にボウリングやスポーツ大会、サークル活動を楽しんでいることを話してくれた。西川さんからは、「徳島ともの会の本人活動」について話をしていただいた。知的しょうがいをもつ本人たちが集まり、社会の活動や仲間どうしの助け合いを目的として活動していること、ピープルファースト大会を徳島県で開催するため実行委員をしていること、ともの会のメンバーと一緒に島根県へ旅行に行ったり、駅前のホテルで忘年会をしたりしていることなどの発表があった。
会場からもたくさんの意見や質問あり、参加者それぞれの立場からの意見も聞くことができ、当事者活動の力強さを感じた。

第2分科会『地域でのネットワークづくり』報告・岡崎 昌枝

第2分科会では、地域でのネットワークづくりのために活躍している3名の発表をもとに討論がなされた。知的障害者通所授産施設「なかまの里」の泉善法さんからは『小さな作業所が地域を変える』ことを、飯山障害児・者地域ネットワーク「そら」の大内邦子さんからは『親として、支援者として、ネットワークづくり・なかまと手をつなぎあって築き上げていきたいこと』を、NPO法人子育てネットくすくすの草薙めぐみさんからは『地域の中に根づいていく子育て支援=つどいの広場とネットワーク』について活動の様子や日々感じていることなどが報告された。
入所施設で日々勤めていると、利用者の生活も職員の考えかたも保守的になりがちになるため、地域で活躍されている方々のお話をうかがい、現在、勤務している救護施設でも生かせるものはないかと思い、この分科会に参加した。熱い思いをもって各分野でさまざまなアイデアと資源を活用して道を拓いている話は、私に「もっとしっかりしなさいよ」とハッパをかけてくれているようだった。また、施設は、地域にとってハード面とソフト面の双方からの大きな資源となるべきだと強く感じた。施設職員も地域の活動を知り、施設の利用者も手軽に地域活動へ参加できるようお手伝いをしていければと思った。

第3分科会『権利をまもるために』報告・引田 敦子

第3分科会では、権利をまもるために各分野で活躍している3名からの報告があり、熱心な討論がなされた。満濃荘介護支援専門員の植野哲男さんからは『利用者の権利・家族の権利・施設の権利と居宅介護支援事業所』について、観音寺市社会福祉協議会専門員の後藤洋平さんからは『地域福祉権利擁護事業の担う役割について』、福祉オンブズ香川事務局長の横山君子さんからは『当事者によるオンブズパーソン』について報告された。
障害を持ちながら自立を目指す人とそれを支えるサービスをつなぐ際、いかに埋もれたニーズを掘り起こしていくか、勇気を持って苦しみを声に出し訴えていくか。それは単純に制度やサービスがあればいいというのではなく、関わる『人』がつながり協働する事ではじめて達成される。利用者が感じている援助者の無意識の人権侵害やヒエラルキーは、すべての援助者が常に自戒し意識しておかなければならないと思った。

パネルディスカッション『すべての住民が主体となる福祉とは』

まず、自立生活センター高松副代表の道官敬子さんから、支援費制度の現状と課題について発言があった。2003年から支援費制度が開始されるなかで、措置制度から利用契約に基づく福祉サービスへと変化してきたが、地域によってヘルパー派遣や移送サービス、介護タクシーなどのサービスの差や情報格差があり、自己決定のもとに選びたくても、選択肢が少ない状況にある。24時間365日介助が必須となる身体しょうがいしゃにとって死活問題である。しょうがいしゃとして生きにくい世の中であるが、ここであきらめてしまうと問題は解決しない。各地に作られている自立生活支援センターの役割が非常に大きくなっていることなどが強調された。
徳島ともの会代表の藤野正弘さんは、「あくまでも本人が中心やなぁ」をテーマに施設に入所していた頃のことや結婚して二人で仲良く地域で暮らしていることなどスライドを用いながら話してくれた。施設では、本人が中心ではないこと、思ったことが言えず、職員がすべて決めていたので、「早く施設から出たかった」ことなどが語られた。通勤寮に移って働くようになったこと、エミ子さんと知り合い結婚したこと、二人でスウエーデン旅行に行ったことや本人活動のこと、パソコンを買い、習い始めたことなどを生き生きと語り、もう施設には帰らないこと、重いしょうがいをもっていてもグループホームで暮らしていけるので、施設をつぶそうと訴えた。
城西コンシューマースタッフの川西義明さんからは、利用者であり支援者でもあるコンシューマースタッフとしての立場から「支援しあう関係」について発言があった。父親も精神障害者として40年位入院していたこと、そんな父を見下げ、差別していた。しかし、自分自身が精神を病み、支援される側になってはじめて父親を受け入れることができたことが話された。退院後、当事者グループである「めぐみの会」を作り代表になったこと、2001年からコンシューマースタッフとして支援センター城西に勤め、ピアカウンセラーとして支援する側になった。人生の中には、支援する側になったり、支援される側になったり、また支援する側になったりすることがある。役割を分担しながら支援しあう、もちつもたれつの関係が大切なのだ。支援する側は、支援される側の自由意志と自己決定を重んじ、才能を発見し、ヒントを与えつつそれを引き出していくことが重要である。しょうがいがあってもなくても、それぞれがみな可能性をもっている。
母親の立場から細川美和さんは、第一子を出産するまで特別養護老人ホームで働いていたため隣近所と接することがなかったこと。母子愛育会に子どもと一緒に参加したり、若草合唱団に入団して歌ったりすることが生きがいとなった。二人目の子どもができると様々な集まりに出ることもできなくなり、次第に孤立していった。孤独な世界でいると子どもに八つ当たりをしてしまいそうだった。虐待がなぜ起こるのかわかるような気もした。子どもを保育所に預けるようになり、育児サークルにも参加するようになると気分が軽やかになった。今回の大会に託児が設けられているので、子どもと一緒に参加することができ、とても嬉しかった。すべての住民が主体となって福祉を創造するには、様々な立場の人が自由に参加できるような環境を作る必要があると体験を通して語ってくれた。

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