『福祉文化実践報告集』に掲載された「報告」「小論」および学会誌『福祉文化研究』に掲載された「論文」「研究ノート」「現場実践論」等、さらには、本学会の会員で前年度までに行った福祉文化実践活動の中から最も優れた現場実践やボランティア活動等に対して「福祉文化実践学会賞」を授与します。授与式は総会の席上で行い、「賞」として賞状を、「副賞」として金5万円を授与し、広くその栄誉を称えるものとします。
- 福祉文化実践学会賞候補募集(2023年度分 募集中)福祉文化実践学会賞候補募集2023年
- 日本福祉文化実践学会賞選考規定
応募用紙送り先: jfukushibunka@gmail.com
2022年度第17回福祉文化実践学会賞 篠原拓也(東日本国際大学健康福祉学部)「浜通り震災ゼミ」
2022年10月23日に行われた第33回日本福祉文化学会全国大会京都大会の場で発表された今年度の福祉文化実践学会賞。大会そのものがオンラインで行われたため、先日、石田易司会長の代行として、本学会副会長であり福祉文化実践学会賞選考委員長の馬場が、福島県いわき市にある東日本国際大学に赴き、賞状と副賞を、受賞者である篠原拓也会員に渡してきました。
当日は、この「浜通り震災ゼミ」の活動を行っている学生やともに指導を行っている前田佳宏会員も参加。大人数で、受賞の喜びを分かち合うことができました。
以下に、その日の写真と取組の概要について、紹介します。
1.受賞者及び該当する取組
篠原拓也(東日本国際大学健康福祉学部)「浜通り震災ゼミ」(東日本大震災被災地である福島浜通り地区におけるフィールドワーク及び体験の言語化を通じた震災の伝承活動)
2.取組概要
2020年度から、東日本国際大学(福島県いわき市)の自主ゼミ活動として、浜通り地区の被災地や震災伝承施設を巡ったり、体験とも重ね合わせたりしながら、メンバーが自分自身と向き合った。その活動は2021年の書籍『震災あるある震災ないない』にもまとめられ、また日本福祉文化学会東北ブロック現場セミナーでも学生・卒業生から語られた。
3.取組の経過と現状
継続的に福島県浜通り地区(いわき市・広野町・楢葉町・富岡町・大熊町・双葉町・浪江町・南相馬市・相馬市・新地町)のフィールドワークを行い、発信している。以下は主な対外的な活動である。
2020年9月 活動開始。(体験や文献をもとに行うディスカッションのほか、双葉町で開業した東日本大震災・原子力災害伝承館と周辺被災地でのフィールドワーク)
2021年3月 『震災あるある/震災ないない』(Kindle版, POD版)を出版
2021年11月 NHK福島放送局こでらんに文化祭&公開収録に本学代表の一つとして展示・出演
2022年2月 NHK福島放送局テレビ番組『わたしたちの”物語”』に出演
2022年3月 NHK福島放送局ラジオ番組『こでらんに5next』に出演
2022年9月 日本福祉文化学会東北ブロック現場セミナー
2023年3月 『震災はなぜ語りにくいのか――メディアや学校の描かない福島県浜通りを求めて』(纂集堂)を出版予定。
4.成果(到達点)
現在の大学生や20代前半の卒業生のほとんどが、東日本大震災の際に小学生だった。その体験を自分なりに記憶し、整理し、後世に語り伝えることができる最後の世代ともいえる。そのような若者たちが、再び福島県浜通り地区の現状を調査し、さまざまな方と対話し、体験ともう一度向き合い、震災の「伝承」や「復興」とは何かを考えることができた。またそれらについて、定期的に発信し、成果物を製作している。
5.推薦理由
まず、学生たちが自らの震災体験ともう一度向き合いながら、東日本大震災は、地域にとってどんな意味があったのか、また復興とは何かについて、真摯に考えることになったことが大変意味がある。震災に関する書籍は、数多く出されてはいるが、被災当時小学生だった「最後の語り部世代」が自分たちの体験ともう一度向き合い、それを言語化したものは少ない。その意味で、このゼミナールでの活動は、貴重な記録である。そしてその「感じ方」は、本当に多様であり、豊かであり、その「真実」から、いわゆるステレオタイプの復興像とは異なる福島の未来のヒントが隠されているともいえる。
第二の理由として、学生たちが被災地及び自らの体験と向き合い、それを議論することで、多様な復興のあり方の「芽」がみえてきたことである。もちろんこの活動を通して、何かしらの地域復興や街づくりの具体的提案をしているというわけではない。ただいわゆる「外来型開発」による復興、すなわち大きなショッピングモールができるとか、外部資本の工場が誘致されるとか、また「内発的発展」を目指す復興、すなわち地元住民が主体的にまちづくりや文化イベントに参加して、地域の活性化を目指すとか、ではない、多様な復興のあり方を考えるきっかけになっているということである。これは言い換えれば、被災地において、人々が幸せになるための取組をどう創造していくのかを考える上での大切な視点の提示といえる。つまり新たな福祉文化の創造をする上での貴重な視点の提示ともいえるのではないか。
このふたつの理由から、本取組は「福祉文化実践学会賞」にふさわしいと思われる。
2021年度 実践学会賞贈呈
遅くなっていましたが、川瀬弓子さんに対する2021年度の福祉文化実践学会賞の贈呈を、7月19日午後2時から川瀬心療内科クリニックで行いました。本当は隣接するデイケアセンター樫の森で高齢者の皆さんと一緒に贈呈したかったのですが、今もなおコロナのせいで、外部の人間は立ち入り禁止で、クリニックで行いました。
25年前、認知症高齢者キャンプを行うための勉強会を東京で実施したときに、川瀬さんは新潟から駆けつけて参加されました。そして、樫の森の利用者を対象にぜひ新潟でもキャンプをと、強い希望を述べられました。
そんな風に認知症の方をどう支援し、どういきいき暮らしていただくかを四半世紀にわたって先駆的に実践してこられました。今でも覚えていますが、今はやりのワークライフバランスを当時から川瀬さんは主張して実践してこられました。働ける時間が短くても認知症の人とご一緒していただけたらと、フルタイムにこだわらないたくさんのスタッフを受け入れてこられました。
今回もHさんやMさんなど、その時からずっと川瀬さんと一緒に認知症のお世話をされているスタッフの方と一緒に表彰の喜びを語っていただきました。特にMさんは学生時代、ボランティアとして樫の森の活動を支え、川瀬さんに懇願されて樫の森のスタッフになり、25年間変わらず認知症のお年寄りを支えてこられました。Hさんに至っては、設立時に夫婦で専門職として樫の森に入職。その後ずっと中心メンバーとしてご活躍です。
「こうしたスタッフがいて、私の活動があった」とこの表彰をきっかけに、川瀬さんもしみじみと25年間を振り返っておられました。(石田易司)
2021 年度日本福祉文化学会 福祉文化実践学会賞の推薦について
1.候補者:川瀬弓子氏(福祉文化学会員)
2.該当する取組:通所リハビリテーション施設「樫の森」での川瀬弓子氏の取組
3.取組概要
新潟県三条市にある川瀬神経内科クリニックでは、日々の診療で認知症のお年寄りと関わるうちに医療だけの限界を感じ、脳、特に右脳に刺激を与えるような生活リハビリによって認知症の進行予防をしようと決心した。そして 1996 年に開設したのが、通所リハビリテーション施設「樫の森」である。
そこで川瀬弓子氏は事務長として施設を運営することになった。施設運営の基本は地域密着。お年寄りが生まれ育った環境を大事にするため、木造で施設を作り、庭にはふるさとの植物、98 種 327 本の幼木を植えた。また昼食も地産地消にするため、それまで川瀬弓子事務長が長い間関わってきた食材の共同購入グループのネットワークを利用し、“顔の見える食材”を使った。さらに職員募集もユニークである。当時三条市に福祉系の有資格者はほとんどいなかったため、川瀬弓子事務長は、3つの採用基準(①お年寄りが苦にならない②人と交わるのが好き③特技を持っているか、好きなことがハッキリしている)を決めて、高齢者福祉には無縁の人たちを積極的に採用した。資格に関してはスタッフが働きながら取得してキャリアアップできるような体制を整えた。この方法は優れたプログラムの実践を可能にするとともに、スタッフにとっても仕事のやりがいと可能性を生み出した結果、退職者がほとんど出ていないとのことである。こうしたスタッフの元、プログラム作りも独創的である。スタッフを、キング(司会・進行)、ビショップ(盛り上げ役)、ナイト(見守り・トイレ介助など、リスクマネジメント) の3つ役割に分け、それぞれ「役」に徹することで、プログラムの“楽しさ度”をアップし、同時にリスク管理もしっかりしながら、すべての高齢者を楽しく参加させることに成功した。またビショップの盛り上げ役は、向き不向きが強く出るので、プログラムを一緒に楽しめる“わかせ役”のボランティアも募った。
4.推薦理由
以上のような取組は、当学会が目指す「福祉の改善・改革を『文化』の視点から検討する」という視点と合致している。特に施設環境を、地域の植生そのままにしていることや、食事も地産地消を目指すなど、地域密着の方針を徹底していることは、大きく評価されるべき取組である。
また職員の役割を明確にし、一人ひとりの利用者に視点に立ったプログラムづくりがで きていることも、ユニークな採用方法、採用基準によるものであると言える。そしてその結果多くのスタッフが、長年継続して働き続けているという点は、職員の定着がかなり難しい福祉業界において、特筆すべきことである。まさに利用者だけでなく、職員の福祉文化度も高い施設であると言える。
こうした理由から 2021 年度の福祉文化実践学会賞には、標記「 通所リハビリテーション施設「樫の森」での川瀬弓子氏の取組」を選考委員会の総意として推薦する。
2021年度 福祉文化実践学会賞授与式についてお知らせ
昨年10月30日~31日に行われた第32回全国大会はオンラインで行われたため、
福祉文化実践学会賞は発表のみで、賞状・賞金の授与は延期となっていました。このたび
下記の予定で行われることが決定いたしましたので、お知らせいたします。
日時 2022年7月19日14時~
場所 川瀬神経内科クリニック
受賞団体の取組みについては「福祉文化通信93号」をご覧ください。
なお、コロナ感染状況を考慮し、授与式は受賞者と授与者のみで執り行います。
一般の方のご参加はご遠慮ください。当日の様子は後日、ホームページに掲載いたします。
2020実践学会賞 佐伯典彦
障害者のマラソン伴走を29年続けてきて思うこと 佐伯典彦
1、始めたきっかけは?
関東に住んでいた高校の時は、「へたくそな」水球部員。まぐれで合格した岡山の大学時代は、国立競技場の水泳指導管理士の資格を取り、スイミングクラブのイントラクターのバイト(大学にいる時間の倍は、バイトしていました)。卒業後は、関東地方の市社会福祉協議会の仕事を経て、総合専門学校の専任教員に。バブルで5年経過したら管理職になり、その後の5年間の間に体重が69㎏(現在57㎏)になりました。人間ドックでは7つ要精検で引っかかる始末。やむにやまれず走りだしました。転職し東京の専門学校のスポーツビジネス学科と福祉サービス学科の専任教員になり、墨田区駅伝に出場したりしていましたが、その同僚の1人は東海大学出身で箱根駅伝に2度出場したスペシャリスト。そして視覚障害者のマラソン伴走で、フルマラソンを走っていました。以前から私も興味をもっていたので、その同僚に教えを請い、茨城県の知的障害で弱視の方(国際盲人マラソンかすみがうら大会5㎞で連続入賞)と走りだしました。根性のない私が、千葉在住、東京在勤時には、1年にハーフマラソン8回、フルマラソン2回、駅伝2回に出場していました。32歳から62歳になった今も走り続けられていられるのも、33歳から始めたマラソンの伴走のおかげ(走って鍛えなければ伴走は続けられない)です。本当に情けない話です。
2、第2ステージ
すでに名ばかりの夫婦になっていた両親は、母が栃木の宇都宮、父は大阪に単身赴任中。父は私の現住所に家を建てて4年で他界。父が不憫で私が今の家を相続するため、現住所に転居しました。特別養護老人ホーム介護福祉士兼短大非常勤講師、デイサービスの生活相談員をしながら通信制の大学院修士課程を修了し、居宅・施設のケアマネージャー、市地域包括支援センターの主任ケアマネジャーを経て、現在の仕事を預からせていただいております。転居後は、京都の弱視のランナーとの伴走(22年継続しています。視覚障害者京都マラソン3㎞で2回入賞)。地元の40歳代(当時)の全盲の女性ランナー(視覚障害者京都マラソン10㎞の部で連続入賞)や20歳代の先天性全盲男性ランナー(視覚障害者京都マラソン1㎞の部で連続入賞。2010年千葉国体後の全国障害者スポーツ大会出場、2020年三重国体後の全国障害者スポーツ大会出場内定)や、スポットで依頼が来たランナーとぶっつけで大会伴走していましたが、現在、この20歳代のランナーと地元の同じく20歳代の先天性全盲のランナー(岩手国体後の全国障害者スポーツ大会800m全盲の部優勝、1500m同2位入賞。認知症高齢者の在宅生活継続を啓発する全国ラン「run伴」連続出場中。)を中心に、津市の盲ろうの男性ランナー(全く聞こえず、手話は、視野狭窄のため、目の前中央しか見えません)や弱視の女性ランナー(左右斜め45度の位置が見えます)と走っています。
3、視点の変化・学び
走り始めた頃は、私もまだ若く、伴走練習で視覚障害者のランナーが大会で入賞を果たすことで、そのランナーの自信を導き出し、生き生きとした生活を支援できました。その後、盲人ランナーが、大会で続けて入賞したため、ランナーも私も「競技入賞本位」にランと伴走支援に傾斜していきました。その間、1人ではとても賄いきれなくなり、障害者マラソンボランティアグループを組織(とはいっても、かなり緩い付き合いです。そもそも管理的なことは、以前の仕事の痛い経験から、すっかり嫌になっています。現在も…。)しました。地元のタウン誌や新聞の地方版に記事提供したところ、すんなり三重県内から伴走者が集まりました。しかし、「自分の名誉欲」で入会した方や、「してやっている」発想で入会した方は次々に脱会していきました(その脱会後も、「俺はマラソン伴走やってるんだ」と吹聴していたようです)。1つ目の学びは、「マラソン伴走者は、伴走者であるケアギバーで、障害者であるケアテイカーではなく、互いがケアパートナーであることを理解できる人」だということです。でなければ継続できません。伴走者である私たちは、障害者との伴走ができるように、普段から練習し、伴走の練習や大会に臨んでいます。しかし、視覚障害者は、伴走者がいなければ、走る大会・走る練習はできません。地元の40歳代の全盲の女性ランナーは、名張市から70㎞離れた大阪のマラソン伴走ボランティアグループの支援を受けるため、電車を乗り継ぎ練習会に参加していますし、津市の盲ろうの男性ランナーは、80㎞離れた名古屋の障害者マラソン伴走グループの練習会に、手話通訳者を手配して参加しています。しかしこの盲ろうのランナーも、月間70㎞しか走れていないと話しています。伴走をしながら、走れないから練習できないのか?ではないことに気づきました。仕事柄、高齢者の介護支援をする中で、自宅にエアロバイク(自宅で運動できる自転車)をもって自主トレーニングをいる方もいます。私は、時に盲人ランナーから、自宅でできる自主トレーニングメニューの助言や相談を受けます(伴走者からもあります)。実際、盲人ランナーの中には、かなり高価なトレッドミル(ルームランナー)をもっている方もいますが、7000円くらいから、スポーツショップでエアロバイクが購入できますし、簡便ないすに座ってできるルームランナーなら3000円くらいからあります。ステッパー(足踏みできるマシン)も、3000円から10000円以上と価格はさまざま。腹筋支援マシン「ワンダーコア」を紹介したこともあります。鉄アレイ3㎏を両手で振ってもかまいませんし、臍見腹筋の上半身トレーニングや、椅子に座って片足を7分半伸ばして上げる(結構きつい!)、枕を膝の内側に挟んで、太ももの内側に筋肉を鍛える。立って踵を2分上げれば、膝から下の足の筋肉も鍛えられます。伴走者がいなくても、例えばご主人がウオーキングをしながら、ひもをもって、盲人ランナーである奥さまが、キロ10分より遅いペースでスロージョグをすれば、十分練習はできます(スロージョグは普通のランでは鍛えられない筋肉の鍛錬ができます)。2つ目の学びは、伴走者がいなければ練習はできないのではない。ということです。また、障害者のマラソン伴走者を募集する際、市社協のボランティアセンター募集で入会した方は少数で、大会で一緒になったマラソンランナーや記事媒体を読んだランナーからの応募がほとんどであったことから、3つ目の学びは、最初のマラソン伴走者応募者は「福祉発想」ではなく「競技者としてのランナー発想」に傾斜していることです。また、三重県内の大会ですと、走った後、美味しい食堂・レストランや元湯の温泉も豊富で、走った後はお互いに「お楽しみ」のご縁がいただけます。京都の大会ですと、自宅近隣の近鉄名張駅から京都まで、有料特急に乗る。市営地下鉄に乗り換える。大会参加後、一緒に食事をしたり、大浴場で一緒に入浴したり等の「お楽しみ」のご縁がいただけます。そのためには、伴走ランナーは、「ガイドヘルパー」の知識や、食事の「クロックポジション」を使った説明も必要になります。食事をしていれば、障害者特有の仕事や日頃の生活上の悩みの相談もあります。伴走者自身の「頭のキャパシティ」を広げていかなければ、とても対応できません。4つ目の学びは、「競技者としてのランナー発想」の方が、「福祉発想」に傾斜し直すこと。マラソン伴走は、その障害者の生きがい創造をする中で、障害者の生活全般を支えることに繋がる。ということでしょうか。
また、視覚障害者は、1つの感覚がない分、残りの感覚が研ぎ澄まされています。京都の視覚障害者と初めて、約1.5㎞の周回コースを7周、10,5㎞走った際、「1周通過8分14秒です、2周通過14分50秒です、3周通過21分30秒です。」と1回言ったのにも関わらず、走った後7周分のラップを、その方は見事に再現できことばにされたこと。別な京都のスポットで走ったランナーは、走る前に、本人希望で「あなたの頬を触ってもいいですか」と言われ、私の頬を両手であてると「あなたは、胃腸が弱いでしょう。」と言い、その日かつての教え子が股関節の手術で、手術の成功を祈念しながら走ったのですが、走った後同じように頬を触らせてほしいと言われ、そうすると「あなたは走りながら、福祉的なことを考えていたでしょう。」と言われたこと。また、今走っている全盲の視覚障害者は、デイサービスの機能訓練指導員(あんまマッサージ師の国家資格を取得している)で、本人自宅から施設までの行程で、時々練習していますが、「ここは、利用者のAさんのお宅の前です。」「ここは利用者のBさんのお宅の前です。」と全て言い当てられるし、1回走った大会のコースは、全て頭に叩き込まれています。その記憶力や感覚の鋭敏さに、そのたび冷や汗や驚きを感じました。それと同時に自分が、正眼でありながら、できることをせず、どんなに持てる力を無駄にしているか思い知らされます(煩悩具足の凡夫です)。5つ目の学びは、伴走している障害者に尊敬の念を抱けるか、その一念をもって伴走できるか、ということです。津市の盲ろうのランナーも、上場企業に勤務しながら、自らSNSで全国に情報発信していますし、福祉活動に支援従事しています。津市の弱視のランナーも、盲学校であんまマッサージ師の後進を育ててくれています。
4、まとめ
6つ目の学びは、「人間の生活の質=身体的・精神的能力×繋がり・関係性」ということ。障害をもっていて、身体的能力が劣っていても、走り仲間との練習・大会参加、語らい。その他社会参加を促すアクションを伴走者がすることで、障害をもっていらっしゃる方の生活の質は落ちないということが理解できます。
最後の学びは、「それ突き詰めたら、自分の都合でしょ。」というささやきを聞くこと。伴走支援をしていると、時々こんなささやきが聞こえる時があります。このささやきが聞こえるから活動が続けられるのかもしれません。自分がいいことをしている気になったら続けられないかもしれません。自分の「善」は所詮自分の都合という「毒」が混ざっている不完全な善にすぎないと自覚し続けることだと思います。
(さえきのりひこ。居宅介護支援事業所ハッピーウッド 主任介護支援専門員)
長尾玲子さんの受賞によせて
福祉文化実践学会賞選考委員長 永山 誠
1.実践の概要
被災地の現在はボランティアの数も減少し、被災者は「取り残され感」が増す状況にあることは現地調査等で明らかな通りです。長尾玲子さんは、東日本大震災の翌年2012年3月から、岩手県「釜石市の女性を支援するパッチワーク教室」を開催し、現在まで8年近く取り組んでこられました。
長尾さんの「パッチワーク教室」を訪れる被災者は、「美しい布を鑑賞し、自分たちの制作した作品を鑑賞することで癒され、気持ちが楽になる」「被災者の皆様は辛く長いこの8年間をご自分の頑張りでよくここまで歩んで来られた」と長尾さんは振り返ります。「長尾先生は次、いつ来るの?」と聞かれるそうです。
長尾さんの「パッチワーク教室」の活動が被災者の孤立を防ぎ、「こころの支え」の一つとなり、被災者との共感しあう関係、共生という信頼関係が根を下ろしはじめていることがわかります。ここから私たちは「文化のちから」を学ぶことができると思います。
2.選考理由のこと―国際的に「社会的孤立」が最も深刻な日本
日本は1980年代以降、地域福祉活動を国ぐるみ・行政ぐるみで40年間取り組んできました。「福祉社会=共生社会」をめざす国民運動で「社会的孤立」の問題は相当改善されるはずだと思ってきました。
ところがOECD諸国の「社会的孤立の状況」に関する比較(下表)をみると予測は完全に覆され、逆に社会的孤立者の割合はOECD中で日本はトップになりました。日本は国際的にみて異常な社会状態です。個人主義が徹底している欧州の2ー3倍、米国の約5倍です。
<社会的孤立は福祉で解決する>というのが日本学術会議社会福祉分科会報告書「社会的つながりが弱い人への支援のあり方について」(2018)の趣旨ですが、OECD調査結果からすると報告書はたいへん大きな論課をふくんでいるといえます。
長尾さんの実践をはじめ、無数のすぐれたコミュニティワークが日本全国各地で積み上げられてきたのに、社会的にみれば実を結んでいないことは、地域福祉システムの機能を総体として点検する必要があるということを示しています。
長尾さんの「被災者と寄り添う」実践は、信頼関係にもとづく支え合い、つまり共生の思いが根底にあり、福祉は地域住民同士の信頼関係を基礎とする共生社会を目指してきたことは確かです。しかし他方、信頼関係を無視して不信と対立を煽り、信頼関係をゆるがすような揺り戻しの動きがないわけではない。
長尾さんの「パッチワーク教室」の取り組みは、ケースワーク、コミュニティワークの領域における「共生の福祉」(一番ケ瀬)の実践例で、福祉文化学の原点といってもよい内容だと思います。私たちはこの原点にたちもどり、日本における社会的孤立者の異常な増大の原因を突き止め、解決方策について広く考える立場に立つ必要がある時期だと考えます。以上のような観点から本年度の福祉文化実践学会賞の選考をいたしました。
長尾さんの今後のさらなるご活躍を期待いたします。
日本福祉文化学会実践学会賞報告(2018.10.28)「いしずえ」
「いしずえ」の実践 選考委員会委員長 永山 誠
1.「いしずえ」の実践の背景―サリドマイド薬害の続出
1958-62年に薬害のため胎児の重度肢体欠損症、耳の障害が多発します。「完全無毒」「妊婦にも安全」な睡眠薬や胃腸薬として販売されたサリドマイドが原因です。厚生省・大日本製薬を被告とする裁判等で明らかになったことは、
①製薬会社が十分な動物実験をせず、臨床試験なしで厚生省に認可申請をしたこと
②国・厚生省はなぜかこれを、1時間半の「簡易な審査」で承認したこと
③厚生省・製薬会社は販売中止、回収決定をしながらなぜか確実な履行をしなかった。これが薬害を生み、広げる結果になったのです。
2.サリドマイド薬害裁判運動と「いしずえ」の取り組み
①1963年―74年におよび裁判運動が取り組まれました。国・製薬会社を被告とする
全国サリドマイド訴訟統一原告団側は薬害の原因究明と金銭的補償とともに、日常生活、子育て、学校教育、医療、住居、職業確保、将来の生活など<被害者の普通の暮らしの確保>という「全人的な被害者対策」を要求します。1974年、国・製薬会社と確認書が交わされ、この要求で和解が成立します。
戦後日本における訴訟解決の方法をみると行政・企業側は「金銭解決」が原則でした。この薬害裁判の場合、金銭的補償に加え、製薬会社の拠出金で「被害者の福祉センター・いしずえ」が設立されました。「いしずえ」の取り組みは、裁判中の被害者生活支援活動の前史があるので、これを加えると今年で55年になる実践です。この運動が日本福祉文化学会創設の動機の一つになりました。
②「いしずえ」の取り組みは、日本の社会福祉運動にも貢献しました。1960-70年
代、朝日訴訟に代表される憲法第25条の生存権にもとづく社会福祉制度(社会保障制度審議会50年答申)、「権利としての社会福祉」の考え方は福祉関係者や市民の間に広がり、労働組合の間でも生存権思想の理解が進み、1974年年金ストが国民春闘として取り組まれました。しかし障害者福祉の領域はあいかわらず恩恵的な福祉観が強かったのですが、サリドマイド裁判運動は、戦後民主主義の発展と社会福祉運動の発展に支えられ、障害者福祉運動の水準を一気に引き上げ、さらに豊かな「いしずえ」の成果に結実します。
③「いしずえ」の主な事業は、ⅰ)サリドマイド被害者に対する健康管理、相談事業、
実態調査、年金給付、ⅱ)薬害防止に関する事業、ⅲ)障害者福祉の向上、ⅳ)相互交流・地域活動の4本柱です。生活をするうえでの必要条件として福祉の課題を正面に据えたこの実践の成果は、1980年代末に日本福祉文化学会の創立を実践面・理論面から準備する一つの導火線となりました。
3.福祉文化実践学会賞の対象者 「いしずえ」の実践に携わった5名
(1)佐藤嗣道氏(被害当事者、公益財団法人「いしずえ」理事長)、
(2)小川信子氏(サリドマイド児の調査研究を一番ケ瀬康子氏と行う。住環境、補助具、被害者の生活環境向上に貢献)
(3)阿部祥子氏(小川信子氏とともに、「いしずえ」で被害者の生活環境向上の事業に携わる)
(4)阿蘇道子氏(「いしずえ」事務局員として1975-99年の25年間従事し、被害者の健康管理と福祉の向上に貢献)、
(5)月田みづえ氏(「いしずえ」の初期の福祉相談員で、学齢期の被害者の相談に応じ、被災者の全人的発達を支援)
*故 一番ケ瀬康子氏
サリドマイド児の福祉調査研究の報告書をまとめる。被害の実態と福祉的補償の必要性を客観的データで示した。いしずえ設立後は顧問となり、「いしずえ」の福祉文化実践の方向性(既存の福祉制度ではカバーされない領域を含め、被会者家族・市民による相互扶助としての「自主福祉」の重要性を指摘)を示すとともに、相談員制度の創設、足で運転する車の開発の提案など、具体的な福祉文化実践の推進に貢献した。
4.推薦の理由
①薬害予防という文化の視点から、薬害被害者と家族が人並みに暮らすうえでの福祉の課題を解明し、これを実現するため1960年代から取り組みを開始し、今日に至る半世紀以上、実践を継続させてきた。
②薬害被害者の要望・要求を土台に、普通の日常生活が営めるよう環境を整えるための福祉事業を開発した。
③「いしずえ」の実践は、障害者福祉を恩恵の福祉から脱却させる一助となった。
④21世紀の「生活の自己責任政策」(2012年の社会保障制度改革推進法)のもとでも「いしずえ」の事業を継続していること。
5.コメント
2012年に社会保障制度改革推進法が成立しました。これは憲法25条生存権にもとづく国家による生活保障の原則を終息させようとするもので、国民生活を自立自助・「五人組制度」的な相互扶助に誘導する福祉・社会保険の制度改革を目指しています。「いしずえ」の経験は、これとは異なり生存権にもとづく自立自助の在り方、生存権にもとづく福祉や21世紀の社会保険制度改革の基本を考えるうえで多くの示唆を含んでいます。以上の視点から2018年度は「いしずえ」の実践を受賞対象としました。
なお、この受賞者は「本学会の広告塔」です。これまでの受賞者をふくめ受賞者の皆様には、大会や現場セミナー等の機会をとらえ報告をお願いするとともに、とくに本学会の会員を増やすうえで特段のご協力を要請したいと思います。
2017年度福祉文化実践学会賞 NPO法人「小さな種・ここる」
福井県鯖江市NPO法人「小さな種・ここる」に決定。2005年から本人家族、行政、市民等の協力をえて、鯖江市「協働パイロット事業」として発足。2012年からNPO化。
うつ病、自閉症、統合失調症等の方がたが減農薬野菜を栽培、これを「ランチレストラン」「カフェテリア」でメニューとして提供しています。「しごと確保」を原点にした福祉実践です。
表彰式では理事長の清水孝次氏に馬場会長から表彰状と賞金が授与されました。
NPO法人「小さな種・ここる」の12年間の活動
福祉文化実践賞選考委員会委員長 永山 誠
福井県鯖江市にあるNPO法人「小さな種・ここる」(清水孝次理事長)は2005年からNPO法人「ここる」、本人、行政、市民の4者の協力によって、うつ病、自閉症、統合失調症等の方がたが減農薬野菜を栽培し、されに減農薬ランチレストランとカフェテリアを運営してきました。障害を持つ方がたの「働く場」「仕事の確保」を基本とする福祉活動をおこなっている点が他とは異なる特徴です。
とくに「NPO法人を中心にしたコミュニティ」が、石井バークマン麻子氏の協力もあり、実践と研究の相互補完・相互発展がはかられ、福祉活動にもとづく「日常の生活」によって地域文化として根を下ろす一方法である可能性を示唆していると考えられます。2025年を目標に地域包括ケアシステムの構築が進む中で、この実践はもう一つの福祉モデルになる可能性をもっているといえます。
2016年度 福祉文化実践学会賞 加藤美枝 氏
-東京都世田谷区における高齢者福祉文化の発展に寄与した35年間の活動
(ⅰ)実践の概要
「高齢者の力を子育ちに、子どもの力を高齢者の生きがいに」をモットーに2010年以降「ひこばえ広場」の活動は会員(30名、60-80歳代)が保育園を訪問するなど世代間交流を行ってきた。これを基盤に2年前から「子育ていきいきサロン」をつくり、入園前の子育て中の親と幼児のため、自分の体験をふまえた取り組みを行っている。常連は3-4組の親子であるが、父親参加もはじまっている。町会や児童館にもPRし、会場の「ひだまり友遊会館」で活動している他のグループの参加も始まっている。さらに本年16年度から「労労ケア」と異世代交流を目的とした「たまごの家」をオープンさせた。
世田谷区内にはせたがや福祉区民学会があり、区内大学のコミュニティを通して学生の参加を促進していくよう努力している。
(ⅱ)推薦の理由
世田谷区は東京都でも最も人口が多い住宅都市で、地域福祉活動の歴史をみると全国の先進地域の一つである。加藤氏の取り組みは、せたがや区内において高齢者福祉活動の世話役として先駆的な位置をしめる。とくに世田谷区老人大学に端を発するコミュニティを35年間も育み、メンバーの老後の生きがいに寄り添い、特に近年は子どもや若者との世代間交流に配慮した活動に取り組んでいる。「子育てを支援する高齢者、子どもの力を高齢者の生きがいにつなげる」という理念にもとづき地域福祉活動の新たなレベルをめざし、地域住民の期待を担った取り組みに広がっていることが注目される。
加藤氏はせたがや福祉区民学会で福祉文化の分科会の助言者を担当するなど、地域生活の文化化の一つの道を模索していることもふれておきたい。
2015年度福祉文化実践学会賞「沖縄福祉文化を考える会」
*「沖縄福祉文化を考える会」の25年間の活動経過
「沖縄福祉文化を考える会」は1991年、福祉事業や文化活動に関わる10名の会員ではじまりました。会則によると「①沖縄における福祉文化を考えるとともに、福祉文化について研究し、実践活動を進める、②日本福祉文化学会との連携を密にし、同会の主催する事業に積極的に参加する」ことを目的としています。10人程度で出発し、毎月第3土曜日を定例活動日とし、年間計画のもとづき各種の学習・実践活動を25年間も継続してきました。
活動の視点は「福祉と平和」におかれてきたといいます。沖縄は第二次大戦時、日本国土で唯一の地上戦を体験し、かつそれは非戦闘員である民間の女性や子どもまで狩り出され戦闘になり、何万人もの民間人が犠牲になるという想像を絶する体験をもち、未だに遺骨がみつからない方もいるからです。
日常の取組みを振り返ると、介護老人福祉施設や身体障害者施設の訪問・交流、ボランティア活動、健康づくりで薬草園訪問、国頭村森のおもちゃ美術館訪問、反戦歌「さとうきび畑」歌碑訪問、戦争体験者の話を聞く会等です。他に、琉球文化がどう根づいたかを、島ことば、わらべ歌で考える勉強会、車社会がもたらす公害問題、高齢者・障害者の移動手段の確保問題、沖縄戦で壊滅した軽便鉄道の復活、路面電車や新交通システムの提案などの取り組みも行ってきました。
さらに日本福祉文化学会との連携では、「平和の礎」が建立された1995年に現場セミナー、2001年も「長寿社会を支えるもの」と題し地元の歴史家、郷土料理研究家を招いた現場セミナーを開催しました。
*25年間の取組の特徴
「沖縄福祉文化を考える会」の25年におよぶ活動の特徴は、沖縄の長い歴史を視野に入れ地域生活の視点から、日常の暮らしに根差した福祉問題や生活課題を取り上げて取り組んできた点にあると思われます。比較的小回りのきく規模での自主活動で、25年も継続されました。これを可能とした理由は地域の歴史をふまえ生活の要望と課題をとりあげて実践し、研究し、提案する自主的な交流であったたからだと思います。
「沖縄福祉文化を考える会」のこの取り組みは、これからの福祉文化の領域における活動や研究を進めるうえで有益なヒントを含むと思われます。以上の理由で2015年度の福祉文化実践賞を授与することを決定しました。なお授与式は神戸大会2日目に行われました。
第10回福祉文化実践学会賞 薗田碩哉さん
今回の大会での実践学会賞は何と顧問の薗田碩哉さんに受賞していただいた。理論家として鳴らしている薗田さんだが、実は偉大な実践者でもあったのだ。
「子どもの遊びと発達」が彼の継続的なテーマで、ご自分で幼児園を運営されたり、NPO法人を作って遊びを展開されたり。そのさまざまな遊びの活動に対して、実践学会賞が贈られた。
第9回福祉文化実践学会賞 「社会福祉法人泰生会 総合ケアセンター泰生の里」が受賞!
社会福祉法人泰生会が宇佐市と別府市において運営する総合ケアセンターでは、利用者の出番を作り、地域住民との「共生」を視野に入れた専門性のあるケアと共に、福祉を地域生活文化のあり様と捉え、地域住民を巻き込み、利用者の個を大切にし、夢や希望を紡ぎ、創造性豊かな、地域でのヒューマンな幸せづくりを目指す実践活動を続けてきたことが受賞の理由です。
理事長の雨宮洋子氏は、「認知症の方を生活の場に戻したいと始めた活動を、このような形で評価していただきとてもうれしい」と喜びを語られました。
尚、学会賞賞金につきましては、全額、当学会にご寄付いただきました。心より御礼申し上げます。
第8回福祉文化実践学会賞(2012年)「特定非営利活動法人マイハート・インターナショナル」(代表 熊木正則 氏)
【推薦理由】
特定非営利活動法人マイハート・インターナショナルは、様々な障害のある人の美術作品展である「福祉MY HEART展」を1986年から継続して開催している団体である。
スタート当時、福祉施設職員であった、現代表理事である熊木正則氏が、施設で描かれた芸術作品の発表の場を作りたいとの思いからこの美術展は始まった。熊木氏は施設での発表ではなく、公立の美術館での美術展開催にこだわり、数々の困難を乗り越え、青梅市立美術館での美術展開催にこぎ着けた。以来、20年以上にわたり、途中何度かの中断の危機を乗り越えて今年23回目を迎えることになる。
その途中で、熊木氏自身がフランスの養護学校との交流があったことをきっかけにフランスからも作品が出展され、2007年には、同展20回を記念して、フランス・トゥール市で開催された。また2008年には、中国・上海での開催も実現。
今年もフランス、中国からの出展も加え、計85点の作品が展示される。
その美術展の開催趣旨は次の通りである。
1.心身障害児者の美術活動を、広く一般の人びとに理解してもらうことを目的とする。
2.心身障害児者の美術制作活動の向上に寄与し、心身障害者が作品に自信と誇りと喜びを持つことを目的とする。
3.心身障害児者が美術表現活動を通して、芸術・文化面からの社会参加、文化創造、国際交流への可能性を追求していくことを目的とする。
出品参加した重症心身障害児者療護入所施設の生活指導員は次のように話しています。
『私たちの施設のような重症心身障害児者の入所施設で寝たきりになっている人たちは、これまで美術館に
入ったこともなければ美術館で作品を見たこともないんです。ましてや自分たちの描いた作品が美術館に展示されることなんて想像もつきませんでした。(中略)この美術展には、入所者の作品参加と同時にバス外出という私たちにとっては大きな経験と喜びがあります。』
第7回福祉文化実践学会賞(2011年)「芸術教育研究所・東京おもちゃ美術館・ NPO法人日本グッド・トイ委員会関連グループ」
<推薦理由>
芸術教育研究所をはじめとする関連グループは、赤ちゃんからお年寄りまでの多世代に豊かな出番と楽しみを提供(例えば、遊びを通して物づくりの喜びを子どもたちに伝えようとしている、やりたいことを探す青少年の手助けをしようとしている、大人たちがもっと楽しく子どもと遊べる手伝いをしようとしている、シニアが子どもたちのために活躍できるチャンスを提供しようとしている、豊かな文化を生み出そうとしている人から全ての人の自己実現が可能となる社会を作り出そうとする人々まで共に学びあう場作りを目指そうとしている、等)するなど、日頃から芸術文化・福祉文化・遊び文化を融合するような幅広い社会的福祉文化実践や活動を行ってきている。
これらの福祉文化実践活動は日本福祉文化学会内外で高い評価を受けてきている。しかも今年度は、特に、3月11日に発生した東日本大震災の被災地の人たち(子どもたち、大人たち、お年寄りたち)に、「あそび支援隊」を組織し、「おもちゃセット」を車に積んで岩手、宮城、福島各県の避難所を巡回し、子どもからお年寄りまでに多くの喜びとエネルギーを提供してきた。今後も継続した巡回活動を予定しており、被災地支援活動のモデルの一つと言っても過言ではない。
日本福祉文化学会では、この度、学会としての「震災支援方針」をまとめるために「震災支援対策委員会」を立ち上げたが、同関連グループの「あそび支援隊」等の取り組みとその経験は今後の学会としての「震災支援方針」にも大きな影響を与えていってくれるものと思われる。
したがって、日本福祉文化学会は、今年度最も優れた団体として「芸術教育研究所・東京おもちゃ美術館・NPO法人日本グッド・トイ委員会関連グループ」を推薦し、同関連グループがこれまでに行ってきた福祉文化活動と震災支援活動を称えると共に、今後の日本福祉文化学会「震災支援方針」強化の礎になっていただくことを期待し、ここに「福祉文化実践学会賞」を贈っていただくよう要請するものである。
第6回福祉文化実践学会賞 「社会福祉法人 小羊会」
<推薦理由>
当方人の創設者の一人、長谷川郁子氏は、滋賀県近江八幡市において、30年前に保育事業を始め、25年前(昭和60年)には「社会福祉法人 小羊会」となりました。その後介護事業も展開し、現在では2保育園、5介護施設を運営しています。当初より事業運営をされてきた長谷川郁子氏、マーレー寛子氏は、いずれも本学会の長年の会員です。
とりわけ、マーレー氏は理事の要職にも就かれ、企画委員会の活動に尽力されています。マーレー氏は、平安女学院大学准教授として教育・研究にも携わっていたこともあり、福祉文化の実践と研究の融合について会員の学習・啓発の機会づくりをされています。また、特にレクリエーション分野において、本学会の著作や各地の大会・セミナーで実践の紹介や課題提起をされています。
当法人は、古くからある保育園と介護施設による幼老統合ケアや、琵琶湖内の島での幼老統合ケア、町中にある民家の活用による地域に溶け込んだ介護事業、選択制の講座・レクリエーション活動など、ユニークな実践を展開されています。
また、ボランティアや職員に多様な人材を活用されています。いずれも、今後多くの地域・施設に波及していくであろう先進的な福祉文化実践と言えます。
事業開始から30年の節目にあたり、当法人の実践を評価・顕彰したく学会賞に推薦いたします。
第5回福祉文化実践学会賞 「静岡福祉文化を考える会」
<推薦理由>
「静岡福祉文化を考える会」は平成8年3月に静岡県浜松市の社会福祉法人遠江学園において開催された、第10回日本福祉文化学会「福祉文化現場セミナー」をきっかけに発足した会である。
『福祉文化』という新しい考え方の上に、豊かに生活を創造することをめざして、世代や環境・領域を超えて実践し語り合う機会を持ちながら活動を進めている。発足当初は福祉に関係のない会社員も多くあり、異業種交流とも言うべき会員同士が、それぞれの立場で福祉文化とはなにかを理解しあうことで会を発展させた。(現在は20代から70代の会員38名が登録)
機関紙「OURLIFE」を有効なコミュニケーションの場とし会員相互の理解と広く県民への福祉文化啓発の場として発行を続けている。
また、会員相互の合宿セミナーや公開型研修会を開催するなど、福祉文化をもとに世代を超えて福祉文化を大いに語り合っている。平成14年には静岡県裾野市に於て「第13回日本福祉文化学会大会」を開催し全国へ向けて静岡発の福祉文化の創造を発信した。また、静岡福祉文化を考える会の実践活動が13年間継続されており、静岡に福祉文化を定着させている活動と功績は顕著なものがある。
福祉を取り巻く状況が大変厳しい中、福祉文化の共有を静岡県の地域特性を踏まえて、生活全般にわたる活動に展開していることから、平成21年度福祉文化学会実践学会賞の受賞団体として推薦するものです。
第4回福祉文化実践学会賞 「青葉園」
※この取り組みについての詳細は『福祉文化研究』第17号の清水明彦「一人ひとりの存在の価値~障害者自立支援法を超えて~」をお読みください。
この取り組みは兵庫県西宮市社会福祉協議会によって運営される重度障害者の地域生活支援に関わるものである。本学会との関連で言えば、第 15回全国大会(兵庫大会)の際に清水氏には報告をいただいており、また実践福祉文化シリーズ第2巻『障害者と福祉文化』にも清水氏による報告が掲載されている。
ここではこの取り組みが福祉文化実践学会賞に値する活動であることを、以前本学会研究企画委員会での検討で出された「福祉文化活動の要素要件」である「出番」「文化」「生きがい」「共生」「創造的普遍的」というキーワードを元に考えていきたい。
まずこの取り組みは、地域に住む重度障害者が、地域住民活動に積極的に参入し、継続的に地域住民との交流を図りながら、地域における「出番」を保障している。具体的には地元公民館で定期的に行われている「青葉のつどい」、地域サークル「ぺったんこ」などである。
そしてこうした活動を行うためには、プログラムの個別化と連携かが欠かせない。そこで青葉園では「個人総合計画」と呼ばれる「本人の計画」に基づいて、プログラムを策定、活動を進めていく。その結果、本人の自立意識も高まり、なおかつ様々なサービスを作り出しながら、地域において重度の障害者でも自立して生活できるシステムを構築してきている。グループホームである「あおば生活ホーム」、介護支援組織「NPOかめのすけ」、地域生活を支える市内事業所・団体・機関のネットワーク「すすめるネット」、市内の相談支援事業者のネットワーク「障害者あんしん相談窓口連絡会」などである。これらは西宮市にしかない独自のシステムであり、まさしく「創造的」かつ「普遍的」価値を持つ取り組みといえる。もちろんその過程で、地域との「共生」のシステムが作られ、また本人たちの地域で生き生きと暮らしたいという想いを実現し、「生きがい」を保障している。さらには地域の方々と連携しながら地域活動を行うことで、地域に新たな価値・「文化」を創造しつつある。
しかもこの取り組みは、1981年から継続的に取り組まれており、「継続性」という観点からも評価に値する。
第3回福祉文化実践学会賞 「わかりやすいけいかくづくりいいんかい」(東京都国立市)
※なお活動の詳細については、遠藤美貴「東京都国立市『わかりやすいけいかくづくりいいんかい』が発信するもの~地域保健福祉計画わかりやすい版の作成を通して~」(『福祉文化実践報告集第2号』所収)及び遠藤美貴「知的障害をもつ人の政策立案への参加・参画を可能にする支援のあり方に関する一考察 ~国立市第三次地域保健福祉計画策定過程の実態から~」(『福祉文化研究』第16号所収)をご覧ください。
地域に住む障害のある人が、自分たちの地域の「地域保健福祉計画」策定に参画するだけでなく、それを自分たちにとってわかりやすくしていく作業を行っている。この過程はまさしく「出番」を保障していく取り組みである。策定委員に障害当事者が参加する例は他にもあるが、さらにそれを自分たちにとってわかりやすく、当事者自身が取り組んでいるところに価値があると思われる。 「文化」という点においても、昨今の障害のある人たちの活動の中でよくいわれる「自分たちのことは自分たちで決める」(Nothing about us ,without us)をまさしく実践している点で、貴重な取り組みである。国立という障害のある人が地域で生活することに積極的に取り組んでいる地域において、こうした新しい「文化」が根付き、さらに全国に広がっていくきっかけになる可能性を秘めている先進的事例である。
また「共生」という視点においても、障害のある人が地域で暮らしていくために、自分たちの思いをこの計画に盛り込み、それをわかりやすく作り替えていく作業を通して、様々な価値観を持った人が地域で暮らすためのひとつのステップになっていくものと思われる。
さらにはこの取り組みに関わった障害の人たちにとって、この取り組みは非常に大変でつらい体験でもあったが、やはり「生きがい」につながるものであったろうし、全国的に見ても、他に例がないという点において「創造的であり、もちろん「普遍的」価値をもった取り組みでもある。
さらには5つのキーワード以外の視点においても、例えばこの取り組みは、国立市の計画策定に対する「思想・理念」「取り組む姿勢」「リーダーシップ」「支援体制」を背景に、公(官)・民協働(collaboration)が実現されている点、また、当事者参加としても、計画策定への参画という、高い自己実現、生きがい充足度へつながる参加で、いわゆるソーシャルインクルージョン(排除される人のいない社会、排除される人をつくらない社会)を実現している。
第2回福祉文化実践学会賞 「NPO法人音楽の砦」
第2回福祉文化実践学会賞受賞:NPO法人音楽の砦松原さま
2005年度から設けられた「福祉文化実践学会賞」は、様々な地域で行われている福祉文化実践について、特に優れているものを表彰し、「福祉文化実践」のより大きな発展を願うものです。第2回福祉文化実践学会賞は、「福祉文化実践学会賞規定」に基づき、2006年6月の理事会での審議の結果、「NPO法人音楽の砦」に決まりました。その表彰式と代表の松原徹さんによるミニスピーチが、さいたま大会閉会セレモニーの際に行われました。
その中で松原さんは「音楽の持つ力は偉大である。今後もNPO法人の活動を通して、その音楽の持つ力をいかんなく発揮しながら、地域づくりや青少年の育成、お年寄りの生きがい活動に取り組んでいきたい」と述べられました。今後のさらなる発展を期待しています。
第1回福祉文化実践学会賞 「新潟福祉文化を考える会」
これまでの新潟県各地域でのセミナーの実施、そして草の根からの福祉文化理念の普及活動が評価され、栄えある第1回目の受賞となりました。新潟中越地震を乗り越えての大会開催時の受賞に、会場の皆さんも思わずホロリ。