福シネマ文化倶楽部#6 「この世界に残されて」を観て新疆ウイグル自治区の人達を思う 渡邊豊 *ネタバレなし

「この世界に残されて」を観て新疆ウイグル自治区の人達を思う

4月上旬に「この世界に残されて」を観に、新潟・市⺠映画館・シネ・ウインドへ行った。2019 年制作のハンガリー映画である。この映画は、数々の映画賞を受賞している。

エルサレム・ユダヤ人映画賞栄誉賞(2019)、ハンガリー映画批評家賞最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞、最優秀脚本賞(2020)、ハンガリーアカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀男優賞(2020)、アンカレッジ国際映画祭最優秀⻑編映画賞(2020)。

映画チラシの紹介文を紹介する。ナチス・ドイツによって約 56 万人ものユダヤ人が殺害されたと言われるハンガリー。終戦後の 1948 年、ホロコーストを生き延びたものの、家族を失い孤独の身となった 16 歳の少女クララは、ある寡黙な医師アルドと出会う。言葉をかわすうちに、彼の心に自分と同じ孤独を感じ取ったクララは父を慕うように懐き、アルドはクララを保護することで人生を再び取り戻そうとする。彼もまた、ホロコーストの犠牲者だったのだ。だが、スターリン率いるソ連がハンガリーで権力を掌握すると、再び世の中は不穏な空気に包まれ、二人の関係は、スキャンダラスな誤解を孕んでゆく―。癒えることのない心の傷を抱えた者たちが年齢差を超え、痛みを分かち合いながら寄り添う。彼らが再び人生と向き合う姿を、節度をもって叙情的に描く名作が誕生した。

この映画を観たきっかけは、私が前に紹介した「島にて」同様に、シネ・ウインド入口右脇のテーブルにあったチラシを手に取り見たことによるが、今回は映画を観る前から、チラシの紹介文を読んで思いが及んだのは、香港、ミャンマー、中国の新疆ウイグル自治区のことである。

香港は、約 25 年前にネパールのカトマンズに行く際の乗り継ぎとして空港に寄っただけなので、いつか街を歩いてみたいと思っていた。ミャンマーは、私にとっては、また読者にとっても「ビルマの竪琴」として有名であろう。私の明治生まれの亡き祖父は、太平洋戦争下、旧日本陸軍歩兵としてインドネシアのスマトラ島まで南方戦線に従軍したこともあり、いずれ訪ねたいと思っていた国である。

そして、新疆ウイグル自治区には 20 歳代半ばに訪ねているので、最近の新疆ウイグル自治区の中心都市ウルムチなどの光景やウイグル族の人達をテレビで見るたびに、約 30 年前の心温まる穏やかな思い出が懐かしく鮮やかに蘇るものの、それ以上に心の底から悲しく、心が痛く、憤りを強く感じるのである。

私は新疆ウイグル自治区を訪ねた後に、『疆』というタイトルの旅行記を 1988 年 8 月に手書きコピーで自費出版している。『疆』の「まえがき」を抜粋して紹介したい。

早稲田大学の横山宏先生が、社会教育関係の講義をしに私が在学した日本社会事業大学に来ていた。横山先生は北京大学の出身で、魯迅の講義を受けたことがあるという。私が大学3年の夏、横山宏先生は中国に行ってこられて、後期になってスライドを交えて中国の話をしてくれた。その中で、「疆」という字の説明をしてくれた。説明内容ははっきりと覚えていないが、字の持つ意味の凄さを実感したことは、強く印象にある。「疆」は「キョウ」と読む。意味は「①さかい。土地や領土の境界。②さかいする。区切りをつける。」と、中学1年の時に買った『角川最新漢和辞典』に書かれている。「疆」の意味を横山宏先生は、次のように説明されたと思う。「疆」のつくりには「一」が3つと「田」が2つあるが、「一」は「山」、「田」は盆地をあらわしている。中国⻄方の地はまさに「疆」的地形になっている。

横山宏先生の説明によると、「疆」という字は今でいう「新疆ウイグル自治区」以上の地をカバーすることになる。北はアルタイ山脈、南はクンルン山脈、その中に北から南へトルファン盆地、天山山脈、タリム盆地(タクラマカン砂漠)を十分見渡せる所に立ち作った字ではないかと思わせる。凄くスケールの大きな字なのである。私の旅は、新疆ウイグル自治区でのことが一番大きかった。

そういったことから、中国シルクロード 30 日間(先遣隊を含めると 35 日間)旅行記のタイトルを「疆」としたのである。「私の旅」と前に書いたが、私ひとりではなく計 81 名の旅であった。メンバーは東北から九州まで、10 代から 70 代まで職業もさまざま、車イスを使っていたり、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、心身に不自由を持っている人などとともにした旅、「シルクロード人間の旅」というものだった。

「シルクロード人間の旅」については、日本福祉文化学会の「福祉文化ライブラリー」で学会前会⻑である馬場清さんが紹介している。私はこの旅に、シルクロード人間の旅実行委員会事務局次⻑という立場で参加した。35 日間の旅で訪れた地は、成田(〜飛行機〜)北京(〜飛行機〜)ウルムチ(〜飛行機〜)北京(〜飛行機〜)ウルムチ(〜バス〜)トルファン(〜バス〜)ウルムチ(〜バス〜)カシュガル(〜バス〜)アクス(〜バス〜)クチャ(〜バス〜)コルラ(〜バス〜)ウルムチ(〜飛行機〜)杭州(〜列車〜)上海(〜船〜)大阪 である。カタカナ表記の地名が新疆ウイグル自治区内の地である。その地でのウイグル族など少数⺠族の様子について『疆』で書いている箇所を紹介する。

ウルムチにて
1988 年 5 月 21 日
散歩に出掛ける。ホテル近くの小さなバザールの露店本屋で新疆ウイグル自治区交通図冊を買い、自分で勝手にウルムチ山と名づけた山(正式名は鯉魚山)に登る。360 度ウルムチ市街を見渡すことができ、幸せ気分に浸れるところである。新疆ウイグル自治区人⺠大会堂へ。ホールはNHKホールを一回り小さくした位である。各地区の控室のコーディネートは各地区のカラーが出ていてなかなかおもしろかった。それからウルムチ中心街のバザールを回り、本屋へ。4階建ての本屋で日本のようにジャンル別に分けられている。本屋の前の通りに面したところには気軽に読めそうな本があり、立ち読みする人が多かった。

ウルムチ郊外の南山牧場にて
1988 年 5 月 25 日
標高 2090mでのパオ生活。信じられないが昨夕にみぞれが降った。カザフ族の「馬の出し物」は迫力があり凄かった。競馬、女追い、羊取りと続く。女追いは男女ふたり組で、女が男を追いかけ帽子を取るのである。羊取りは馬 40 頭が2チームに分かれ、頭を切り落とした羊を奪い合うものである。

カシュガルにて
1988 年 6 月 1 日
昼食後はバザールへ。カシュガルのバザールは新疆ウイグル自治区で最大のバザールである。バザールの様子はとにかく見なければ分からないのだが、日本で言えばアメ横を大きくした感じである。通りはガタガタの土の道である。商売を忘れ物珍しげに我々を見ている店の人もいた。

1988 年 6 月 3 日
キャンプ地の片づけをし、13 時に発つ。途中、道路舗装中につき、足止めをくらう。この道はパミール高原を越えパキスタンに続いている道。私たちが足止めをくらっている未舗装部が完了すると、パキスタンまで完全舗装になるということだ。人夫がたくさんいる割には仕事がはかどらないようだ。道端の木陰で死んだようにうつ伏せになって寝ている人、トランプをしている人、ボケーッとしている人がいる。毎週金曜日、イスラム教徒は休日である。今日はちょうど金曜日。16 時半からエイティガール寺院で礼拝が始まる。これから礼拝をして、その後はカシュガル市⺠族幼稚園での交流会である。カシュガル市⺠族幼稚園との交流会は素晴らしかった。保母さんからの幼稚園概況説明のあと、園児代表の踊りが 30 分以上続いた。それがうまくてかわいい。園児が踊っているとは思えない。動きの細やかさ、表情の良さが素晴らしい。思わず 10 枚近く写真を撮ってしまう。踊りの後は、日本側からフーセン、飴をプレゼントしたり、折り紙を折ったりしたが、日本側からのアプローチは弱かったなあ。

コルラにて
1988 年 6 月 11 日
今までホテル2階のホールでディスコというかダンスパーティというかそんなものがあった。近所の人達がホテルのホールに集まってのものだった。いろんな曲が流れるのだが、踊り方はいつも同じ。男女ペアで静かに踊るのである。地元の人にとってはこの場が非常に楽しみのようだ。1週間に1度あり、目一杯おしゃれして来るのだそうだ。

『疆』で登場する新疆ウイグル自治区から 30 年以上が経った。

「今、バザールや本屋はどうなっているでしょうか。バザールの人達はどうしているでしょうろうか。お元気でしょうか。」
「今、ウルムチ山はどうなっているでしょうか。」
「今、新疆ウイグル自治区人⺠大会堂はどうなっているでしょうか。各地区の控室はどうなっているでしょうか。各地区の人達はどうしているでしょうか。お元気でしょうか。」
「今、カザフ族の人達はどうしているでしょうか。お元気でしょうか。」
「今、イスラム教徒の人達はどうしているでしょうか。お元気でしょうか。」
「今、エイティガール寺院はどうなっているでしょうか。エイティガール寺院の人達はどうしているでしょうか。お元気でしょうか。」
「今、カシュガル市⺠族幼稚園はどうなっているでしょうか。保母さん達はどうしているでしょうか。お元気でしょうか。園児達はどうしているでしょうか。お元気でしょうか。」
「みなさん、お元気でいることを願っています。」

福シネマ文化俱楽部 支配人 渡邊 豊(2021.4.16)

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