福シネマ文化倶楽部#3 「島にて」を観て 渡邊 豊 *ネタバレなし

3 月下旬に新潟・市⺠映画館・シネ・ウインドへ「島にて」を観に行った。シネ・ウインドは市⺠が出資して運営に関わり成り立っている映画館で、1985 年に開館した。

私は約 30 年前の 20 歳代後半の時に、映画「阿賀に生きる」制作のための資金集めで行われた柳沢寿男監督のドキュメンタリー映画上映会に、ボランティアとして参加したことが縁でシネ・ウインドの会員になった。「阿賀に生きる」の撮影をした小林茂さんを手伝い活動した。小林茂さんはその後、映画監督となり活動を続けている。柳沢寿男監督は上映会の際に来館され、京都先斗町で宿を営んでいるとのことで年末に訪ねお世話になった。

また、十数年前にシネ・ウインドがリニューアルのために 1,000 万円を目標に募金を市⺠に1口 10 万円で呼びかけた際に、募金をしたことで株主になった。募金をした後に、株主への配当として映画鑑賞招待券の配付があった。当時は大学院生で、東京の大学の寮で学部生と共同生活をしていた。1年間休職しての大学院生活で収入はなく出費する一方であったが、そのような生活だったからこそ共感して募金できたのだと思う。


3 月上旬に出羽秀輝さんとシネ・ウインドで「風の電話」を観た。岩手県大槌町に「風の電話」という電話ボックスがあり、これをモチーフにした映画である。映画を観終わってシネ・ウインド入り口脇のテーブルに置かれた映画や催し物などの様々なチラシの中から「島にて」のチラシを見つけ観たいと思い、このたび実現した。
福シネマ文化俱楽部の第1話を出羽秀輝さんが書いているが、その中で私と「すばらしき世界」を観に行ったとある。「すばらしき世界」「風の電話」を観る前に、昨年3月に「Fukushima50」を一緒に観に行っている。
出羽秀輝さんは福島県いわき市出身で、一昨々年から2年連続で夏に出羽秀輝さんの案内で福島第一原子力発電所事故に関する視察をしている。一昨年の夏は、居住困難区域からいわき市に避難してきた人達のためのサロン、東京オリンピック聖火リレーがスタートしたJヴィレッジ、ここなら笑店街、夜の森の桜並木、双葉駅、浪江駅、無人の商店街、居住困難区域、放射能に汚染された土を処理している施設などを視察した。視察に際しては、⺠生委員を務める出羽秀輝さんのお父様、地元の自治会⻑さん、フクシマ原発労働者相談センターの方から同行していただいた。

昨年夏はコロナ禍で訪問できなかったが、再び訪ねることができる状況になれば、学会東北ブロック担当理事の篠原拓也さんとともに、福島第一原子力発電所事故と東日本大震災をテーマにした福祉文化現場セミナーを福島で行うことができればと思っている。出羽秀輝さんとは職場の同僚で、二人ともその職場は退職したが、その後も交流が続いている。その延⻑線上にこのたびの出羽秀輝さんとの福シネマ文化俱楽部の創設がある。

私にとって島と言えば、最初に思い出すのは鹿児島県の吐噶喇列島である。20 歳代前半に訪ねた。

大学生の時に東京神保町の岩波ホールの近くにある秦川堂という古書店でアルバイトをした。店⻑が『銀座文化研究』を編集⻑のような立場で発行していた。本棚で吐噶喇列島の⺠俗学に関する本を見つけて読み、行きたくなり、吐噶喇列島の十島村役場に手紙を書き資料を入手して、東京から鹿児島まで各駅停車で行き、週に1便運航の十島村営フェリーで最初に中之島に渡り、1週間後に小宝島を訪ねた。中之島では村役場・診療所職員の家族、小宝島では小中学校の先生の家族にお世話になった。そして奄美大島に渡った。奄美大島では新聞記者の家族にお世話になった。

同じく大学生の時に地理学の授業で関根鎮彦先生から足尾鉱毒事件について学び、同期生とともに秋に現地を訪ね、その仲間とともに冬に夕張炭鉱や炭鉱住宅を訪ねた。学生割引と冬季割引が重なり半額程度となった北海道ワイド周遊券を利用し、仲間との夕張炭鉱の視察の後は各人が単独行動となり、私は日本最北の島である礼文島を目指した。島では漁師で商店を営む人と出会い、深夜3時に出航する船で漁を体験した。

その年と次の年の夏には昆布干しのアルバイトをしに、⻘春 18 きっぷを利用して各駅停車、⻘函連絡船、フェリーで3日間かけて訪ねた。冬に出会った漁師の家にお世話になりながら昆布干しの仕事をした。休日には郵便局から払い下げになった赤バイクを借り、スコトン岬など島内をツーリングした。ウニがたくさん採れ、毎日ウニ丼をご馳走になった。漁師が営む商店では礼文昆布焼酎を販売していた。

厳冬の礼文島からの帰途は、別海のパイロットファームの酪農家のお世話になり、牛舎で餌やりや糞尿の片づけ作業をし、シンガーソングライター松山千春さんの故郷である足寄の自宅を訪ねた。

ちなみに、私が訪ねた島は、国内では北から礼文島、飛島、粟島、佐渡島、江ノ島、沖島、⻑島、厳島、知夫里島、中之島、小宝島、奄美大島、沖縄本島、古宇利島。国外では台湾島である。このうち礼文島は3回、粟島は2回、佐渡島は 30 回程訪ねている。

学会としては、過去に佐渡島と琵琶湖に浮かぶ沖島で福祉文化現場セミナーを開催し、者では私は実行委員⻑を務め、後者は学会副会⻑であり沖島でデイサービスセンターを運営する社会福祉法人に勤めるマーレ―寛子さんらが主催して、参加した。

初代学会会⻑である一番ヶ瀬康子さんは、⻑崎純心大学の教員時代に⻑崎県内の島々を訪ねたと話されていた。さらに初代学会事務局⻑の多田千尋さんは、芸術教育研究所(現・芸術と遊び創造協会)の所⻑として沖縄県内のすべての市町村を訪ねたように聞いている。

全国各地の島で「島と福祉文化」をテーマにして福祉文化現場セミナーを開きたいものだ。
全国にいる会員のみなさんには、ぜひまずは地元の島を訪ねてみてもらいたい。

飛島には 20 歳代後半に訪ねているが、その時の記憶はほとんどない。

映画「島にて」の私の感想であるが、無責任で申し訳ないが、結局は映画を観ていただくか、実際に飛島を訪ねてもらいたい。映画は 2019 年に制作されたドキュメンタリー作品である。最後にチラシに書かれている紹介文の一部を紹介する。

日本海の沖合にぽっかりと浮かぶ山形県唯一の有人離島−飛島。酒田港から定期船で 75分、島の面積は 2.75 ㎢。本土を望めば雄大な鳥海山、豊かな自然をたたえた島は、その全域が国定公園に指定されている。かつて日本海側の海の交通の要所として栄え、島⺠の多くは漁業や農業で生計を立ててきた。「北は樺太、南は九州まで、いろいろな思い出があるけれど、今はわびしいもんだ」と往時を懐かしむのは、漁師の和島十四男さん(80)

過疎と高齢化が進み、現在は 140 人ほどが暮らす。今年は、島でただ一人の中学生・渋谷新くん(15)が卒業の時を迎えようとしていた。高校進学が決まれば、新くんは島を離れ、飛島小中学校は休校となる。いっぽう、UターンやIターンで島に来た若い人たちがいる。島内に雇用を生み出そうとユニークな取り組みを続ける「合同会社とびしま」の共同代表・本間当さん(38)もその一人。「漁師にだけはなるな、と育てられたけど、なぜか島に戻ってきた」と笑う。

映画「島にて」を観たことをきっかけに、思い出すままに様々なことを書いてきた。最後まで読んでいただき、全国の会員に感謝したい。また、全国の会員からは気軽に自由に福シネマ文化俱楽部へ鑑賞した映画の感想をお寄せ願いたい。

2021.4.1

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